「祭りのあとの寂しさは……」
吉田拓郎の歌を口ずさみながら、ぼくは山梨県の須玉町に向けて車を走らせていた。そこには10年前に仲間たちと力を合わせて造った、ひとつの建物があるのだ。
事の発端は彫刻家の友人Mが小さな新聞記事をみたことだった。概要は『長野県岡谷市の古い木造の公民館が取り壊され、廃棄されることになった。が、この建物、本来は能楽堂として造られたもので、にもかかわらず一度も能を上演されることなく廃棄されることなった……云々』ということだったらしい。
何かを強く感じたのだろう。Mは決心し、借金をしてそれを買い取ってしまったのだ。いつか「本物の能」を上演させてみたいという一心で山梨の山中に運んでしまったのだ。
最初はみんな反対したのだ。けれどその心意気に次第に仲間が集まり始めた。大工、石工、鍛冶屋、電気屋、看板屋、印刷屋、彫刻家、画家、歌手、俳優、学生、オカマ……?
休日には必ず何人かが集まり、無償で鋸を引き釘を打っていた。俳優の榎木孝明君も時間を作っては大工仕事をしてくれたのだった。みんな予備校や大学時代のどこかでつながっている仲間たちだったのだ。
建物は「自然舎(じねんしゃ)」と名付けられた。子連れの参加者も多く、ジャージー姿が目立ったせいかオウム真理教に間違われたりもしたけれど、それもまた今思えば楽しい日々だった。
建築資金を捻出するために夏祭りをやり、バザーをしコンサートを開いた。廃校になった小学校を借りて展覧会をやった。8歳の娘の木版画が500円で売れて笑った。そしてそれらの売上金はすべて自然舎の柱や壁になったのだ。
目の前にひっそりと「未完成の能舞台」がある。空中分解してしまった仲間たちのことで少し胸は痛むけれど、ぼくには今でも「遠い祭りの日々」がはっきりと見えるのだ。
拓郎の歌が鳴り止まない。
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