2013年10月13日(日)「 待ちぶせ 」
8月にブラックバスとブルーギルを釣りによく通った山上の野池を久しぶりに見に行った。というのもここのところ台風や豪雨やらで天候にまったく恵まれず、オイラの川「栗山川」まではとても行ける状況ではないのである。で、エエイもうこうなったら泥沼だろうが肥え溜めだろうが三途の川だろうがカヌーが浮かべられるならどこでもええわい! という気分になってしまった訳なのである。
あ、今ふと思ったのだけど、これ意外と面白いかもしれない。本格的な清流に行けないカヌー大好きオヤジ(わたしのこと)が近所の池や用水路や公園の泉水や、はたまた小中学校のプールやらで笑われようがけなされようがコソコソッとゲリラ的に漕ぎまくって、果ては疾風のごとくすばやく逃げ去るというやつ。まあ高層ビルに無許可で登ってしまう“蜘蛛男”のカヌー版みたいなものだ。チンケ版でもあるから名称はズバリ「井の中の蛙シリーズ」だろうか。しかし最後は大海原に出てモンゴロイドの足跡をたどってアラスカを目指すという大スペクタクルの展開に突き進んでいくわけだが、その場面のBGMにわたしの曲「海へ」が流れたりするといいよなあ。泣けるよなあ。ん? 映画じゃなかったな……小説でもなかった。
話は急に戻るのだがさっきのその野池、グーグル地図でもヤフー地図でもゼンリンの地図でも国土地理院の地図でもとにかく名前が無いのである。幅こそ50mほどしかないが長さはゆうに200mはある、それほど小さい池というわけではないのだ。名前があって然るべきと思うのだがなあ。
そしてすべての地図で池の中央に橋がかかっているようになっているのだが、実は現在その橋はすでに朽ち落ちてわずかに丸太の脚が残っているだけなのである。取水設備も壊れて残骸しかないので、灌漑という役からももう引退しているかのようだ。まさしく、忘れられて捨てられてひっそりと山上にポツンと取り残された感じなのである。小さな谷間に雨水が溜まってしまった、用済みの役立たずの自然池のようなたたずまいになってしまっているのである。近辺に人家がないのでおそらく番地もないのだろう。
地図上では半径500mほどのその辺りをぜんぶひっくるめてってな感じで「小中」と記してあるだけだ。ならば「小中池」かというと小中池というのはもう少し大きいサイズのやつがそこから1Kmぐらい先にちゃんとあるのだ。「日本名池100選」にも登録されているらしい。池の100選があるというのにもびっくりしたが、じゃあ一字違えて「小中沼」? いやいやそれじゃ当たり前すぎるし紛らわしくておそらく違うだろう。要するにこの池はかつて役目があった頃は名前もあったかもしれないが、今はもうその存在すら忘れられかけた名無し沼なのである。おそらくカヌーを出してもお叱りはなさそうだ。
名前が無いということは名前を付けてもいいということではないかとわたしは膝をたたいた。で、いきなりだが「トモチン沼」と命名することにした。あまり深く考えてはいけない。元AKBの板野友美似の水神さまがこの前出てきたのでそうすることにしたまでだ。人生なんてそんなものだ。実に奥ゆかしい名前だとわたしは思う。
で、トモチン沼に(そしていきなり使う)カヌーを浮かべるにはちょっと竹藪を切り開かなきゃならんだろうと思ったので、つまりそこのところを今日は見聞・下見に来たわけなのである。
ゴムカヌーは軽いから慎重にやれば間口が1mもあれば担いで頭越しに水面におろせるだろうし、浮かべしまえばこっちのもんで、クルリと回して横着け状態にすれば装備も積みやすいだろうとオイラは踏んだ。勝算ついでに名づけて「トモチン沼竹薮破れかぶれ探検隊」である。なかなかになかなかだ。なんだか実に勇気と笑いが沸いてくる構想である。近々に鎌とノコギリとスコップ持参で来よう、ガハハハーなのだ。ヘラ釣り師が川岸に勝手に足場やら小屋やら作っているのと同じだ。足場材は回りの林から調達する。これがオイラの生きる道、破れかぶれのお楽しみ人生なのだ。
この夏、女子高校が行方不明になっていた事件の「茂原市・本納」が近いので一時彼女はこの沼の底にいるという妄想にとりつかれて怖かったのだが、今はもう無事発見されたことだし、管理者もいないようであるし私物化へ一直線である。
前置きが長くなってしまったので本題を端しょる。何でも有りなのだ。
んで、もっとよく知っておこうとトモチン沼を囲む崖を高巻きながらざっと一周してみたのだ。と、5〜6mの崖の下にバスとブルーギルがかたまって休んでいる淀みを発見した。水深20cmほどの泥底の浅場にまるで眠っているような格好で微動だにせずにいるのである。寝不足のやつがそこに集まってきて「オラもうたまらん。10分でええからちょっくら寝させてくれ」とでも言って集まっているような様子でもある。仮眠所みたいなものなのだろうか。さかなクンじゃないのでよくは分からないが何らかの理由でその場所は特別に気持ちのいいネグラ環境になっているのかもしれない。
眠気まなこの魚の写真をスクープできそうな気がして、迷うことなくわたしは崖を下りた。あっというまに気づかれて魚どもは散ってしまったが倒木2本をまたいだまま石川ひとみの「待ちぶせ」を頭のなかで歌っていると、アララ立ち待ち3分魚どもが戻ってきた。本当に戻ってきたので内心びっくりし興奮して足も震えていたのだが、至近距離で魚の顔を写せるなんて千載一遇の幸運である。二度と散らしてはならないとかなり緊張してしまった。マクロ設定で魚を撮るなんてそうそう無いことだ。
やっぱりここはおそらく、絶対に、確信的に魚たちの共同ネグラなのだ。ただただじっと夢見心地顔でたゆたってしまっているのである。写真のタイトルは「トモチン沼〜魚たちのベッドルーム〜」なのだ。なんとなくエロ文学風でいいなあ。幻想的な光がこれまたなかなかにエロエロなまめかシズムだ。
そうそう、トモチン沼にいわゆるネッシーみたいな水性恐竜の小さいやつがいたら「トモチー」という名前で呼ぼうと今からもう決めているのだが「トモチンチー」「トモチントンシャン」などというのもけっこう捨てがたい。
mk
オヤジの“待ち伏せ”はストーカー行為でしょうか?