「 個人情報とプライバシー 」
「ロス疑惑事件」というのがあったのを、みなさんはまだ覚えておられるだろうか。テレビや雑誌で連日連夜報道され、保険金殺人の容疑者「三浦和義」氏は一時期下手な芸能人よりマスコミで稼いだはずだ。
わたしは物見遊山的野次馬根性で大いに興味を持ち、「Tonight(懐かしいねえ!)」をはじめありとあらゆるテレビ番組を録画までして見たおかげでロス疑惑事件カルトになった(不謹慎なんだけど)。
レコードにこそならなかったけれど“Dancing Cat”という曲を真剣に作ったぐらいだ。事件のいちばん要の部分を見ていたであろう一匹の猫がいたのは事実である。
そして結局のところ事件はどうなったのかというと、判決は最高裁に預けられ、時間はかかったが三浦氏は証拠不十分であったにもかかわらず有罪となり服役した。
……そんな概要でよかったのかなあ? 事件に関わった人物たちの全ての氏名を言えるほど詳しかったのにもうその程度のことしか覚えていない。時期的なこともこれで正しいかあ?歳だねえ。
さて、三浦氏のことはいったん置いといて、唐突ではあるが「個人情報保護法」についてほんのちょっと講釈してみたい。個人情報保護法とは「個人情報の適切な流通」と「個人情報の徹底した防御」のバランスをとるべく制定された訳だが、目的としては「個人の権利と利益の保護」「ネットワーク社会における個人情報の有用性への配慮」といったところであろうかと思う。
むずかしいことを書いて煙に巻くつもりなど毛頭無いのだが、はたしてこれからわたしが書こう(漏らそう)としていることは「個人情報保護法」に触れるのではないかとちょっぴり心配に思うのである。
一般的な個人情報といえば、住所、氏名、年齢、職業、メールアドレスなど「特定の個人を識別できる情報」ということだろうが、例えばいついつ、どこどこで、だれだれが、何をした、という事実をつかんでそれを公に書いたり話したりするのは法に触れることではないのだろうか、ということなのである。「プライバシー保護法」とか「パパラッチ禁止法」いうのがあるのかどうかはわからないが、もし有るならそれらには触れそうではある。
しか〜し! 世の中には「これ、どうしても話したい、隠しておけない、ア〜! 順子(誰?)しゃべらしてくれ〜!」ってこともあるのである。だしょう?
おそらく、この話は本邦初公開である。世界中でわたしを含めて数人しか知らない筈である。それはわたしが音楽学校でボイストレーナーをやっていた頃の話だった。
教え子たちにはそれこそ色々な職業の人たちがいて、看護婦さんもOLも、ガードマンや板前さんもいた。それぞれに食うための仕事を頑張りながら、プロの歌手やシンガーソングライターを目指している訳なのだった。めずらしいところでは俳優の高橋英樹さんのところのお手伝いさんなんて人もいた。
そんな中で、丸井(デパート)のクレジット部に勤めるKさんというのがいて、彼女は受注から商品の手配、その後の事務処理そして発送までの段取りをして最後にコンピューターにそれらのデータを打ち込むといった、一連の業務を毎日やっているということではあった。
そのKさんが、ある日レッスン後にこっそりとわたしに教えてくれたのだ。
「先生(わたしのこと)、今日たいへんな人から注文があったんですワ」
「へ〜、たいへんな? 誰? 芸能人とか?」
「芸能人よりス・ゴ・イかも知れない」Kさんは実にもったいぶった言い方をしてわたしをじらした。
「芸能人よりすごい? 総理大臣とか?」
「……、先生、こういうことは絶対漏らしちゃいけないことになってるんだけど、あのミ・ウ・ラ・カ・ズ・ヨ・シから注文があったのスよ〜」 Kさんはわたしがロス疑惑事件のカルトであるからこそ教えてあげるんだぞ、という顔つきで実に嬉しそうにわたしの口調を真似て笑った。
「だって、三浦和義はいま塀の中だろ?」わたしは素頓狂な声を出した。
「何言ってるんですか! 刑務所の中からだってお金があって手続きさえ踏めば何だって注文できますよ〜!」
彼女はそれからしばらくクレジットカードのシステムや決めごとについて説明した。わたしはその的確な説明を聞きながら彼女の安定した日常業務を想像し、その情報が信用できるものであろうと思ったのだった。
「そうなのか〜、で、結局何を注文してきたんだ三浦和義は?」
「……、絶対他には話さないでくださいよ、先生は口が軽いからなあ……、ランドセルとね、靴と服上下、子供の」
わたしは思わず唸ってしまった。吉田拓郎がイトーヨーカドーのワイシャツを着ているのを知った時と同じぐらい驚いた。
“人を頼んで妻を殺し、全世界に対して悲劇の夫を涙で演じてみせた男が、獄中から自分の子供の小学校入学の支度品を注文する図”を想像し強く感じ入った。しかも丸井のクレジットだ、あまりに普通だ。
「本当にあの三浦和義なのかなあ」
「間違いありませんって、発注者の住所は府中刑務所内だし、受け取り人は三浦良枝さんなんだから」
Kさんは自信ありげに断言した。
「ということは、奥さんや子供の住所もわかるわけだ?」
「ダメダメ、そういうのはいくら先生でもダメ、私の首が飛びますルよ、何考えるかネこの男は!」 Kさんはもうそれ以上のことは教えてくれなかった。
しかしわたしは、そのレアな話を知っただけでも非常に嬉しかった。実にまったく満足であった。本物の「ロス疑惑事件カルト」になれた気がした。そしてその話を自分だけのお宝話にするために、最後にこう付け加えた。
「Kさんよ〜、そういう話はあんまりもう他の人にはしない方がいいぞ〜、プライベートなことだからなあ」
Kさんは“よく言うよこの男は!”という顔で微笑んだ。
話したくて話したくて十数年ウズウズしていたのだ。別に悪い話ではないし、甘チャン的発想で言えば「どんな悪人でも塀の中では家族のことを思ったりするのだなあ」といった、どちらかというと“いい話(?)”ではあるのだけど、わたしはジッと我慢した。しかしどうしてもやっぱりつい書いてしまっちゃったりする訳である。
こうして個人情報とプライバシーは漏れちゃったりする訳であろう。か?
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