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“樹木フェチ”ってなんだ! | |||
2015年03月14日(土)「 木の力、根の力 」 数年前に描いた小さな絵で「木の力、根の力」というタイトルのものがあった。夏の強い日差しの中で、一本の木が作る“木陰”そのものを描いたものだ。その木陰はまさに砂漠のオアシスのごとく、おそらく何人もの人々を熱中症から守ってきただろう。 そしてさらにその木の足元を見ると、太くて大きな根っこがむきだしになっていて、長い時間をかけて敷石を持ち上げて今まさにそれらをひっくり返そうとしている……とまあ、そんな象徴主義的小風景の絵だった。 いつか大きな絵にするためのエスキース(下絵・スケッチ)に過ぎなかったが「タイトルは詩的でいいなあ」と実は今でも自賛しているのだ。 何度か言っているが、わたしは異常な樹木偏愛者である。人間(もちろん自分を含めて)は身も心も移ろいやす過ぎて信用できない。が、こと樹木に関しては“木である”というただもうそれだけで、膝丈以下の灌木から天にそびえ立つ大木までひれ伏すほどに信用してしまうのである。 ただなあ、最近は彼らと何時間でも話し込んでしまえるほどの達人(?)になってしまってなあ……ちとヤバイ。 ご近所の街路樹が一挙に25本も伐採・撤去されるのだという。妻が情報源だ。「切るのは明日かららしいよ」とか呑気なことを言っている。 わたしは「勝手なことさせてんじゃねえよ!」と毒づき、肩をいからせて小雨の中を写真を撮りに出かけた。 木の名前は分からない。が、身の丈15mはゆうにあろうかという立派な木々だ。伐採理由は「近隣の住民に多大な落葉の迷惑がかかっているから」ということらしい。ケッ! だ。 確かに秋から冬にかけての落葉は相当なものだ。実際にわたしも見てよく知っている。針葉樹系なので細かく砕けた茶褐色の葉が風に吹かれて毎年各家の門回りにうず高く溜まっている。特別清掃車が出動するが、個人の住居の庭の中までは片付けてはくれないのだ。量だって半端ではない。推測するに90リットルごみ袋で1家庭あたり5袋は出るだろう。 さらに、発酵する、腐る、虫がわく、ジトジトする、臭う、滑る、こける、ぎっくり腰になる、4年経ったが原発から飛んできた放射能数値がいまだに不安、禿げるかもしれない、アレルギー源としても気になる、埋もれた石につまずいて頭を打って死ぬかもしれない、等々……まあ色々言い分はあるだろう。 それはわかるのだ、それは分かるのだが、樹木偏愛者としてはやっぱり辛く悲しいのである。それに、ちょっと為政者の住民への胡麻すりの臭いがしないでもない。「ちゃんと意見を汲んであげていますよ〜、伐るのなんかお安い御用」というアピールだ。 ほんの少し深く考えれば、木々たちも伐られることもないだろうし、今後も普通に生き続けてゆけるのだからなあ、哀れだ。 『この並木も、もう20年ぐらいにはなるだろうかなあ。この家に越してきた頃はまだ3mぐらいの丈だった。月日の経つのが本当に早い。都心からは離れているが同僚たちが新築祝いに集まってくれた時“並木の一番外れですからねえ、分かり易くていい”って妙な褒め方をしてくれたっけなあ。みんなまだ元気にしてるだろうか。 娘が小学校入学の日に迷子になって、並木伝いに自力で帰ってきた時なんかは皆で並木に感謝したものだった。カミさんなんか門前の木の肌をさすりながら水やりなんかしてなあ、笑ったよなあ。 2番目の息子が家の真ん前でひき逃げされた時、俺は“木と話せたら犯人をこの手で捕まえて、八つ裂きしてやれるのに”と幾晩も泣いたよなあ。 オフクロが嬉しそうにこの家に越して来た日のことも、救急車で搬送されて2度とここに帰ってくることが無かったなんてことも、こいつらはずっと見ていたんだろうなあ。 ガンをなんとか乗り越えて、退院して家に戻って来た時の臭いを、俺はまだはっきりと覚えているなあ。松脂の臭いが嫌だというご近所が多いが、俺はどっちかと言えば好きかもしれない。季節は基本的に木々の匂いだ。ここは季節感どっぷりだ、まあそれが唯一の魅力なんだが。 そうだそうだ、もう時効だろうがなあ、中村由香里は元気にしてるだろうか。今思えばどうかしていたのかも知れないが、離れたくないとか女々しく言って家の前まで連れて来たことがあったなあ。俺は何をしたかったんだろう。ああいうのも君らはぜ〜んぶ見てて笑ってたんだよなあ。まいったなあ。男にも更年期障害ってのがあるようなんだよ、幸せな家庭があっても、あの頃淋しくて淋しくて仕方がなかったんだよなあ。男ってなあ。クソだよなあ。 カミさんにも秘密なんてのがあったかもしれんなあ。それもおそらく君らは知ってんだろうなあ、君らがもししゃべれたらホント怖いわなあ。君らは嘘つかないものなあ、事実だけを見て、見たことだけを年輪に刻んで、そしてただただ微笑んでいるんだもんなあ。参っちゃうよなあ、勝てないよなあ。 なあ、君らはいったい本当は何歳なんだ? 平均寿命なんてのはあるのか? 100年、200年なんてのはザラなんだろう? とすれば俺が死んだ後もこの家をずっと見続けるわけだ。娘や孫やひ孫の代まで君らは見る訳だ、そうなんだよなあ、そういうことなんだよなあ。すごいことだよなあ、うん、すごいことだ。俺なんか、あんたの寿命200年! なんて言われたら辛くて即座に死にたくなるかもしれん』 な〜んてことをあの辺の住民たちは考えないのだろうか? と妻に同意を求めたがまったく意に介さぬ様子。女はダメだネ、ま〜ったく夢が無い。 夜、“チェーソーで切られた木々の幹から熱い真っ赤な血が流れ、25本の木がいっせいに太い枝を振り回して暴れ出し、根っこでドスンドスンと歩きながら人間を片っ端から蹴っ飛ばして反撃する夢”を見てしまった。わたしは遠くからそれを眺め「う〜む、木の力、根の力……」とか唸って、嬉しそうに感動していた。 あ! ……止めておこう。明日本当に伐られてしまう25本の木に対して、夢の話とはいえ不謹慎この上無い。これだからわたしはダメなのだ。 ちゃんと製材されて公園内の東屋(あずまや)にでもしてもらえれば、みんなの気持もいくらか救われるのだがなあ。 人間は生命体としての木々を軽視し過ぎている。樹木=木材ではないのだ。 落葉なんか、わたしがボランティアでいくらでも片づけてあげるのに……。 |
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