「 キッネコ 」
クイズです。下の2つのヒントから「キッネコ」とは何か当ててください。これは鹿児島弁らしいです。母に「あんたも小さいころ、そう呼んでいたし使っていたよ」と言われたのですが、その意味を知った今でも記憶が戻ってこないのです。そこまでわたしの中で“ふるさと”が希薄になってきているのかと思うと、かなり寂しい。
ヒント@
幼少の頃、姉と遊んでいて「床屋さんごっこ」をすることになった。姉はハサミでちょっとだけわたしの髪を切ってみるつもりだったが、つい手がすべって思いのほか多量に髪を落としてしまった。元通りには絶対ならないのは子供ながらにわかったらしい。で、なんとか形を整えようと更に切ってゆくうちに、とうとう限りなく坊主に近くなってしまった。姉はハンベソである。わたしは「インディアンはホッホー!」とかいって踊っている。
買い物か何かから戻った母親は、わたしの頭をみて開口一番こう言った。
「わー! キッネコだ!」
ヒントA
今年82歳になるわたしの母は、わたしのホームページで我が家のウーロンを見て「今までずっと白猫ばっかりだったとに、今度はキッネコじゃな」と言った。
さてさて、先にも言ったが、その意味を母から明かされても記憶が戻らなかったわたしなので、未だに「ああ、そうなんだ」ぐらいにしか思わない。正解は「キジネコ」である。「黄地猫」なのか「生地猫」なのか「気違猫」なのかわからない。「猫の柄の分類」に詳しい妻によると「黄色系のサバトラじゃあないの」ということらしいが、ならただの「トラネコ」だろうという意見もある。
「微妙にちがうのよ、そう微妙、微妙」と本当はわかっていないにちがいない。
まあでも、キジネコが正解だ。
このホームページの「時には襟を正して」の「カイコウズの花」で書いた、新橋駅SL広場の脇にあった「カイコウズ」が切り倒され捨てられてしまった。
日常の中でふるさとを感じることができる唯一のものだったので悲しくなる。
「どうしてこんなこと、するかね?」
わたしは悲しみを通り越して怒りがわいてきた。駅前公園のデザインに飽きたから一新しようぜ、というぐらいの軽い決議であの辺界隈の商工会がやったに決まっている。まったくのアホだ。
“あそこに行けばいつでも○○がある”という安心感はとても貴重なのだ。別にカイコウズだけではない。買い物でもそうだ。「よそでは見かけなくなったけどどこどこに行けば○○はあるよ」というような店が突然つぶれたり、営業をやめてしまったりとさみしい限りだ。
「おれはこれから家の中では鹿児島弁を使うことにするからな。忘れてしまうと悲しいし、自分のルーツは大事にしなきゃいかん。だからあなたも鹿児島弁を使いなさい! いいね。この猫はキッネコ、こっちの新しいチビはゴミ」
わたしは妻に命令した。妻は千葉の出身なのに同意し「キッネコ」の発音を練習している、いい奴だ。
ふと気付いた。鹿児島では「き○○○」という言葉を短縮して言う傾向があるぞ!
「きびなご」は「キッナゴ」だし「きちがい」は「キッゲ」だ。う〜む、ほかにもありそう……だ。キッネコという1語に端を発して、約1時間遊べた。放送禁止用語なんてくそくらえである。
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