「 カウンセラー 」
音楽学校に勤務していて一番楽しかったのは、20も30も歳の違う若い人たちと日常的に接する事ができたことではなかったか、と思う。今は「5年ひと昔」の感覚だろうから、彼らから見れば40歳後半の男はもう立派なオジジイである。下手をするとオジイサンなんて言われかねない。しかしまがりなりにも音楽の世界にいて、かつてはプロであったというわたしのプロフィールは多少彼らに親近間を抱かせたようだった。運営スタッフ専任になってからもCMや企画物のCDなどではわたしもまだ歌っていたので現役でもあり、彼らはまだわたしを先生と呼んだ。
まあそうなると必然的に学生たちから色々と公私にわたって相談を受けるというようなことになる。わたしはそれまでの自身の人生を大いに反省し(クックッ)、現実を見据えて本当のことをズバズバと言うことにしていた。
「プロの歌手になりたい」なんて甘い夢は、生半可な気持ちで取り組むと人生を棒に振ることになる。そして現実には甘い考えの奴のなんと多いことか。
例えばこんな感じだ。
「高橋真梨子さんみたいな歌手になりたんです。わたし今30歳ですけど彼女は40歳、私にもまだ10年チャンスがありますよねえ」
「あのねえあんた! 高橋真梨子は若〜い頃から歌ってて、ずっと前から苦労して、やっとスターになって、今40歳になったわけで、40歳でデビューしたわけじゃない! 悪いこと言わないから結婚して別の人生を考えなさい!」
彼女は「ウフフ」と笑って「桃色吐息」を歌いながら個別相談室から出ていった。少しもこたえていない様子だ。
わたしは自分が横柄な態度をとっていることはよく分かっていたが、それでも食らいついて来るようなら“見どころ”がある、ぐらいのキツイことを敢えて言うようにこころがけていた。
次の例えなどは質が悪い。自分の娘なら殴っているところだ。
「 あたし〜、歌はイマイチだけど顔が可愛いからデビューできると思うんです。モームスなんてわたしよりブスだし〜!」
一番困ったタイプである。そこまではっきり言わなくても、けっこう心の中でそう思っている自信過剰タイプは多い。わたしは毒舌にヤスリをかける。
「あのさあ、あなたぐらいの容姿の人はたくさんいるのよ、この業界には。オーディションとかはトータルでの評価だからね、容姿と歌唱力と性格をそれぞれ10点満点にして、トータル27点以上がまあ合格ラインだ。つまり顔が10点でも他がだめなら不合格だし、顔が7点でも他が10点満点なら合格、あなたは“ああ勘違い”25点ね、帰れ帰れ!」
彼女はムッとした顔をしてわたしの頭のてっぺんからつま先までをにらみつけた。「あんたみたいなチンケな男がプロだったっていうのは嘘でしょ!」とでも言いたげにだ。わたしは怒りの余りクックッと笑い、コサックダンスを踊ってみせたりした(嘘)。
例をあげれば本当にきりがなくて、わたしは相談を受けるたびに毒舌に磨きをかけていった。しかし不思議なことにそれが原因で学校をやめてしまう、というような人は一人もいなかったのだ。
音楽学校も組織的に見れば株式会社なので、わたしの発言で学生が辞めてしまったりすると会社にとっては損害となり、当然わたしは責任を問われるのだ。しかしわたしは毒舌カウンセラーをやめなかった。
若いころのいい形での必死の努力は、仮に目的を成就させられなかったとしても後々すばらしい財産にもなる。しかし、いいかげんな取り組みは人間をスポイルするだけだし、誰かが身を捨ててわからせてあげた方がいいのだ。
やや偏っているし、ファシズム的、独断的な部分もあったがわたしは自己判断でバッサバッサと切りまくった。とんでもないカウンセラーである。しかし毒舌ばかりを吐いていたわけではない。キチンと音楽的な指導もしたし、勤務外でも学生たちにギターを教えたり、曲を共作しライブをやったりもした。デビューした教え子も何人もいるし、その子たちに当てはめて考えてみても、前述した30満点採点法はいまでも正しいと思っている。人は自己の中で自己を補いながら生きているのだ。それに気付くことが大切なのだ。
数年前に「冬のファンタジー」というヒット曲を出した「カズン」というデュオの古賀いずみさんも教え子のひとりだが、自分に欠けたものを知ると、その後大変な努力をしアーチストとしても人間としても大きくなった。理想的な例であったような気がする。
わたしがそんな風に学生たちの相談相手をし、たまに外でライブなどをしているということが、ある日学校の上層部にバレてしまった。「暴走社員」扱いされてしまったのには笑ったが、上層部もさるものでわたしを首にしたりはせず、ちゃっかり授業の中に組み入れたりした。ギャラの要らない講師扱いだ。
社員が授業をするわけだからね。わたしはゲンナリしたが反対にちょっとありがたい措置もとってくれた。
「小林、カウンセラーの資格をとりなさい」社長はそう言った。わたしは喜んでとりあえず「カウンセリング講習」なるものを受けに行った。そして3日間にわたって講習を受け、修了証を得た。しかしわたしはそこで大変な事実を知ることになった。
「カウンセラーの資格」というものは日本には無いのである。その講習の先生(名前は忘れた)によると、米国には資格制度があり、実際その先生も米国のカウンセラー資格保持者らしかった。
「カウンセラーを目指すなら10年のキャリア、費用が300万円ぐらいかかりますね」
わたしはおかしくて笑えなかった。そして驚きのトドメはこうだ。
「カウンセラーは何も言ってはいけません。ただただ相手の言うことを聞いてあげるだけです。聞いて、聞いて、聞いて、聞いてあげるだけです。円広志じゃありませんよ〜。相手が話し始めるのを待って、待って、待って、聞いてあげるだけです。指導も説諭も意見をすることもしてはいけないんです」
わたしは唸った。わたしのしてきたことは何だったのか。ただの「毒舌オヤジ」だったのか。「毒舌井戸端会議」だったのか。
わたしはおかしくて笑えなくなった。そして淋しく、円広志の「夢想花」の替え歌を歌った。♪〜聞いて、聞いて、聞いて、聞いて、黙って聞いて〜♪
わたしは誰かにカウンセリングして欲しくなった。
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