「 カレンは可憐ではなかった 」
アメリカ行、第3弾。
3週間とちょっとの旅だったわけだけど、その間にはディズニーランドにも行ったしラスべガスにも行った。ホテルで泳ぎの練習の成果も若干あった。しかしだ、遊んでばかりいたわけではないのだ。一応お仕事みたいなものもあったのである。
旅費の半分を(あくまで旅費だけの)会社がもってくれることになっていたので、その為には名目が必要だったのだ。その名目というのが「杏里の歌唱指導」だった。歌唱指導なんてまたまた大仰だが、デビュー当時の杏里はあまり歌が上手な子ではなかったのだ。
レコーディングするアルバムの中にわたしの書いた曲が2曲あったので、一応つじつまも合う。経理上のね。
当時は大挙して日本のミュージシャンがレコーディングのためにロスなどに行っていたけれど、向こうでレコーディングした方が音もミュージシャンのテクニックも日本でやるより断然よかったし、経費的にも安かったのだ。それだけ人材の層が厚く、歴史があるということだった。
杏里のレコーディングは「A&Mスタジオ」でやっていて、ここは昔チャップリンが映画を撮っていたスタジオをレコーディングスタジオに改築したもの、らしかった。なんとなく倉庫街の雰囲気があり、美しいというわけでもなかったけれど、その分落ち着いた使いこまれた安定感があり「杏里め、新人のくせにこんないい所でレコーディングしやがって」とうらやんだりした。が、17歳の杏里は実に可愛かったのであっさり許してやることにした。
A&Mの中をぶらついてスタジオを覗いてまわると、なんとすぐ隣のスタジオであの“カーペンターズ”がレコーディングしているではないか。ちょうどカレンが歌入れを行っているところで、廊下を歩くわたしからもボーカルブースの中が見えるようになっていて、遠目でもそれがカレンだとはっきりわかった。
音はほとんど聞こえないのだけど、かすかにドラムの強いアタック音などが漏れていた。なおさら耳をすまして聞きたくなるじゃないか。それなりに失礼のないようにしたつもりなのだけど、分厚いガラスに顔をこすりつけんばかりに近づけ、耳をダンボにして覗きこんでいる日本人の小男にムカついたんだろう、キッとカレンがわたしの方を男顔でにらみつけ、目と目がパチンとぶつかって火花が散った。。
拒食症になる前の、まだまだ若いおだやかな顔をした時代のカレンだったが、その時のやや吊りあがり気味の尖った目をわたしは今でも思い出すことができるような気がする。
カレンはちっとも可憐ではなかった。もっとも……無礼なのはこっちだからそんな駄洒落も言ったらいけないのだけど。
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