2014年1月31日(金)「 熟人の日 」
20歳を祝う「成人の日」と同じ趣旨で、千葉市には60歳を祝う「熟人の日」というのが制定されている。
毎年1月31日である。市独自のものなので一般的にはあまり知られていないらしい。が、かといってウスラ寂しいものではなく、さすが政令指定都市らしく「熟人式」という名の式典も区ごとに行われ、3月末日までに満60歳を迎える人全員が招待されるということになっているのだ。記念品と軽食の経費もキッチリ年間予算に組み込まれているという訳なのである。つまり参加費とかは0円、無料である。
「老人式」と言わないところがまあ実に好ましい。「今日からあなたはれっきとした老人仲間ですよ〜」と宣言される式典だったら誰も出席したくはないだろう。お役人にしては珍しく気のきいたセンスのいいネーミングである。
「熟人」とは広辞苑に有るとおり、すなわち円熟・成熟の域に達した人々のことであり「塾」を経営している人や「脳味噌ジュクジュク」の人のことではない。ブハッ!
大波小波を乗り越えて生きてきたこと自体を互いに褒めたたえ、まあとりあえず60歳の「今」を生きていることを新熟人同士で大いに祝おうではないかという集まりなのだ。いいこと言うではないか!(パンフレットからのパクリだけど)森田健作知事発案・指導のものなのである。実験段階ではあるらしいが、いかにも彼らしい「人間死ぬまで青春だ〜!」的企画ではありますネ。
ところがである。最近になって、60歳にもなっていながら円熟の域とは程遠い輩(ヤカラ)が急激に増えてきているらしいのだ。成人式と共通する部分でもある。国民総幼児化なのだろうか。
毎日新聞の夕刊コラムでこの熟人式が取り上げられていた。昨年の実際にあったケースらしい。
「区長の祝辞中に口笛で鳥真似をした江戸屋猫八ジジイ、酔って寝込んでしまいイビキと放屁を繰り返すラッパジジイ、自分だけ記念品をもらっていないとウソぶいてもう一個せしめようとするオネダリババア、お茶は飲んだがケーキを食った記憶がないと泣き叫ぶダダッコオババ……等々、信じがたい未熟人類が最近とみに目立つ」と言うのである。
「微妙な60歳、ボケとチョイワル交差点」などとコラムのサブタイトルにもなっている。
ウーム、わたしも相当スカポンだがそこまでひどくはない。つもりだ。
1月28日(火)にわたしも満60歳になったので、本日めでたく千葉市緑区の「熟人式」に参加してきた。ちょっと冷やかし気分もあったのだが、一生に一度の機会ですからね。記念品の「萩焼のお猪口(ちょこ)」も魅力的だったのだ。こういうのはすぐ餌に釣られるから“入れ食いジジイ”と言うんだろうかね。
口笛も吹かず屁もこかず、鼻くそも耳くそもホジらずに、我ながら実にまじめに、真摯な2時間を過ごしてきたのであった。スカポンもやるときはやるのだ。スカポン人生にも「中〆」は必要なのだ。
この歳になると職場に年上はほとんどいないし、年下の連中に指示出しばかりしているので、口調が高飛車になっているのではないかという懸念があって、だからなるべくしゃべらないようにしていた。わたしの場合、しゃべらなければ絶対にボロは出ないのである。逆に言えばこれまでの人生、失敗はすべて口からだったなあ、ほんと。
300人ほどの出席者の中に知り合いが1人もいないというのは結構不安だったが、それなりのスリルがあって退屈はしなかった。区長の祝辞に続き、3人の先人が60歳以降の「健康」「心」「食事」について薀蓄を語ったが、わたしが見渡す限りでは今年は何事も起きず、ちょっと拍子抜け。まだ実験段階なので「無し」ってことになると「損だ」っていう判断を皆したのかもしれないなあ。
その後は懇親会のようになっていった訳なのだが、まああれですね、つまり生涯学習センターとつるんでいて、○○教室はいかが? ○○ダンスはいかが? ってな具合で、中学・高校あたりの入学式でいろんなクラブが部員の勧誘をしているのにそっくりなのでありましたネ。勧誘がなかなか上手で、わたしも前々から興味のあった「苔球教室」ってのに危うく入りそうになってしまった。
昔は「ある程度歳をとったら、あれもこれもやってみたい」と思っていたのだけれども、実際に60歳になってみるともうそれほどやってみたいことは無くなってしまっていることに気が付くのだなあ。というよりも「やらないだろうな」という消極的予測が先に立ってしまうのだ。
例えば、フラメンコ(男版)をやってみたいと昔から思っていたのだが、教室に毎回欠かさず通う自信がないのだ。レオタードをはくのも恥ずかしいし、モッコリはもっと恥ずかしい。で「おそらく、やらねえだろうなあ」となるわけである。
オペラ(カンタベリー唱法)というのも習いたかったのだが、いまさらだよなあ。大声を張り上げて脳溢血起こすだけだぜえ。と、これもおそらく「やらないな」と思う。
じゃあ一体何をこれからやってみたいんだ? といわれると、本当に何も無いのである。何に挑戦することもなく、毎日酒を呑んでさらにスカポンになって、時々金のために作文やら絵をかいて、時々釣りやらカヌーやらキャンプやらをやって、そうしているうちに気が付けばハゲで歯抜けの70歳だ。てやんでえベラボウめ〜、どうしてくれるんだ〜、すべてお前のせいだぞ〜。
何を言っておるのかわからなくなってきた、いよいよヤバイ領域に突入かも知れない。
若い友人たちは気遣って「まだまだ頑張ってくださいよ、還暦なんて折り返し地点じゃないですか!」などと言ってくれるが、折り返しというのはだいたい半分のことだ。120歳まで生きるのは不可能だし、生きたくもないというのが本音である。よく「青春時代に帰りたい」という人がいるが、わたしはもうまっぴら御免である。
そうだなあ、今いちばんやりたいことは大地に大の字に寝転んで、大空と流れる雲をぼんやり見ていることである。一刻も早く春になってほしい。
※きょうの話はすべてフィクションであり、実在する事実はひとつもありません。嘘八百三ぐらいなのだ。イーヒッヒッヒッ!
mk
ついに孫ができた!
訳ではないのだ。
60年前のスカポン、ポン!
わたしなのだ。昭和は遠くなりにけり。
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