エンジン音のしない乗り物に乗りたくなった
09年7月15日(水)「 自転車に乗って 」

 職場の仲間、高橋明さんは元競輪選手である。S級まで昇りつめ、将来を嘱望されていたにもかかわらず、本人の思うところ有って割と若い段階で早々に引退した……ということだったらしい。まあ人には色々な考え方があるけれど、誰でもがなれる職業ではないし、まだまだ稼げただろうし実にもったいない。50歳代でも、細々とではあるけれど立派に現役で走っている選手もいるぐらいだものね。「その“色々思うところ”ってのをを知りたいのよ」と、わたしは口下手な彼を質問責めにして幾度となく困らせた。
 ある日、我ながら愚かな質問をしてしまった。
「明さん、休みの日とかには今でもやっぱりサイクリングなんかするんですか? ママチャリとかでもスピード出るんでしょうね?」
競輪選手はきっと自転車に乗ること自体が根っから好きなんだろうと考えてしまったのだ。彼は少し寂しそうな、しかし精一杯寛大な表情を作って答えてくれた。
「ハイ小林さん、わたしはですね、とにかくお金を稼ぐための職業として自転車に乗っておりましたのでですね、ハイ、自転車は今は全然乗らないんです、乗りたいとも思いません、ハイ。好きじゃないんですよ自転車が、あんまり、ハイ!」
 それなりにとても意味のある深い言葉だと思う。わたしも詞曲を作ることには熱くなれたが“人前で歌うこと”はずっと嫌いだった。
 1億円超の賞金を稼いだ“男・高橋”の言葉だ、真実がある。

…てな話とはぜんぜん関係なく、梅雨も明けたのでわたしは自転車にまたがった。写真先行掲載、詳細後日。




野良猫はたくましい。わたしに気付いても逃げない

バッタだろうか、わたしを見ながら平然と食事をする

県神社の表参道。とても涼しいのは妖怪たちのせい?

県神社入口。カブトムシやクワガタなんていくらでも?

「夏なんです」って感じでしょ?もうセミが鳴き出した

09年7月18日(土)「 またまた自転車に乗って 」

「写真先行掲載、詳細後日」と前回書いたのだが、詳細を書く前にまたまたサイクリングに出かけてしまった。とても楽しいのである。空気が旨いのであるヨ。なので、絵日記のように続けて書くことにした。

 自転車自体は1年前に購入したものだ。例にたがわず減量のためである。26インチの車輪、シマノ製6段ギア付き、幅広タイヤのマウンテンバイクもどきである。
「すぐに飽きるんだろうなあ」という自信があったので高級品は買わなかった。ネットで送料込み価格¥14000ぐらいだったからランク的には最低限クラス、まさしく「もどき」である。安物買いの銭失いになる懸念もあったが、わたし的にはギア付というだけで十分で、坂道をスイスイ行けるものなのだろうと期待した訳である。ところがだ、すぐに飽きるどころじゃない。届いたその日に家の前の緩い坂を100m走って挫折してしまった。ちっとも楽じゃないのである。幅広タイヤは負荷が大きくてママチャリよりペダルは重い。以来、モドキ君は庭のオブジェになり、風雨に晒されてだいぶ錆びてしまった。しかしこういうものも結局は“縁”なのだろうなあ。今年の突然の梅雨明けが錆落としのキッカケになったのだから。

 今日も車に轢かれたヘビを何匹も見かけた。夏の力とでも言おうか、道端の草はものすごい勢いで伸びる。葛(くず)などは怪物のようだ。人はそれを阻止するために、これでもかというほどに刈り込む。ヘビたちは行き場を失い、しかたなく道路へ出てしまうのだ。そこへ車が……といった図式だろうか。
 ヘビを見て、前回書いた元競輪選手の高橋さんをまた思い出してしまった。とにかくヘビ嫌いらしいのだ。わたしは平気というより好きな方なので、死んだヘビを持って「成仏しなよ」と草むら奥深く横たえてやったりするのだ。そんなわたしを見たら高橋さんはおそらく失神、失禁するかも知れない。
「そうですかあ小林さん。ヘビの頭をなでれるっすか? ヘビを触ったら1億円やるって言われても私はできませんですハ〜イ。1億円はあなたがどうぞって言うかと思います〜小林さん、ハイ」
 1億円もらえるんなら目をつぶってでも我慢してやるだろうと思うのだが、彼は違うらしい。ある日、高橋さんが電車の席に座っていると、ヘビ皮だかヘビ柄だか知らないがその手の靴を履いた女性が目の前に立ったのだそうである。彼は靴を凝視したまま恐怖のあまり硬直し、目をつぶっても硬直したままで、とうとう目的の駅で降りられなかったというのだ。話を作って人を笑わせようなどというタイプの人じゃないので信じていい。顔からしても前世はカエルではないかと思っている。。おそらくそうだ。時々ケロケロって言うし……。

 前回(7/15)は心臓と肺が破れるんじゃないかと思うほど疲労したが、今日はもうそんなことはなかった。筋肉痛のようなものも残っておらず絶好調。体が自転車に順応したようだ(なんちゃって!2回目のくせに)。同じ道を走るのもつまらんな、と“余裕のヨッチャン”である。長い坂があるのでそこだけは辛そうだが、茂原市の端に位置する県(あがた)神社を目指した。途中で休憩がてら墓参り。前日ぐらいに誰かが参った形跡があり、その花を水上げをして活けかえた。わたし方と妻方の両家の墓に花があったので、おそらく義理の弟だろう。我が家にも寄ってくれればいいのに。
 県神社はあいかわらず木々深々として神々しい。恐ろしいぐらいだ。なにやら歴史的にも南総里見八犬伝の時代あたりからの言い伝えを持つ神社らしく、バスを乗り継いでわざわざ観光に来た同年配の婦人としばし談笑した。ひんやりとした木陰に座り、持参した熱いコーヒーをすする。ちょっと心を過(よぎ)る不快なものがあったので、思い切りよく溜息をついてから気を取り直して深呼吸をした。
 カナカナカナカナ……この日、ひぐらし鳴く。





オイカワが釣れると教えてくれたお兄さん。とてもいい感じで話す。

どうしようもないぐらい素敵なバス停です。

この用水路にはカワセミがいっぱい。乞うご期待。

下を幅2mぐらいの川が流れている。きれいな水。

とうとう陽が暮れてしまった。夕焼け久しぶり。

09年7月20日(月)「海の日は、海に行かない」

 タイトルは忘れたが、ごく最近の邦画のテレビCMで「年寄りだからってな、やっちゃいけない事なんて何も無えんだよ、何やったっていいんだよ」っていうのがあったような(?)気がする。実に正論すぎてわたしはびっくりしてしまい、以来脳裏に焼きついてその台詞が頭から離れない。
 55歳という歳は微妙である。まだ少しだけ体力が残っているので、すべてをあきらめ切れないでいる“あがき”の年齢だ。若い者に負けたくないのではなく、まだ勝ちたいのである。そのくせ、真剣勝負になったらやっぱり若さには負けるんだろうなあ、なんて弱気になったりもするのである。中途半端そのものだ。
 石田純一が東尾理子と結婚するとかしないとかニュースでやっていた。肌を見ればしっかりわたしと同じ55歳相応の風体なのに、本人はまだ若いつもりなんだろう。懲りない馬鹿だと思う一方で「待てよ、わたしもまだまだ」……な〜んて思わない思わない。それこそ「悪あがき」というものである。

 徹夜明けで昼12:00帰宅。海の日なので白里海岸まで行こうかと思ったが、海の日だからこそ海には行かないことにした。詩的、芸術的な見解、選択である。分かるでしょう?
 で、前からちゃんと調べたいと思っていた“近所の水系”を少し探ることにした。こういうことは車ではできない。スーパーカブでも行けないほどの小さな畦道を行くので、マウンテンバイクがまさにうってつけである。
 大きな川は無いが湧き水の多い土地なので、農業用水路を含めて必ず水系があるはずである。地図では絶対に分からない。自分の目と足で発見したものが役立つ。
「東京湾に流れ込む川の支流が沢山あるよ」と地元の老人たちも教えてくれた。老人たちはもう自分の体が動かないので、他人に自分の知識を教えて行動させるのが好きなのだ。ウソ情報もたくさんあるが、だまされてあげるのも敬老及び愛のひとつ。おかげでオイカワ、モツゴ、タモロコの釣れる川(土の用水路)を見つけた。 さらに、コンクリート護岸されてはいるが、10匹ぐらいのカワセミが等間隔で並んで採餌している用水路(水門)を発見した。餌が多いのだろう、カワセミの体が太いように感じた。デジスコでしばらく通おう。

 道草をたくさん食ったので、今日はアッという間に夕方になってしまった。ひさしぶりに夕焼けを見る。なるべくゆっくりペダルを踏んで楽しみを引き伸ばそうとしているのが自分でもわかった。まるで子供である。家人はすでにわたしを「自転車小僧」と呼んでいるようだ。
「しかしなあ、面白いからってなあ、こう度々自転車ばっかりやってると、きっと飽きるのも早まるんだろうなあ? もったいない気もするなあ。せっかく健康的なんだしなあ。1週間に1回とか決めた方がかえって長続きするんじゃろか」
 例によって独り言の始まりである。分ってはいるのである。いままでも「熱し易く冷め易い性格」がゆえにどれだけ多くの金と時間を無駄にして、結局何も残せなかったことか、と。
「少〜し愛して、長〜く愛して」大原麗子の昔のCMを突然思い出した。
「少〜ししか愛さないんじゃ、長続きしても、ぜ〜んぜんつまらんと思うけどなあ……」
 55歳はまだそんなことも考えるのである。





                




mk
 
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参道の急勾配は自転車を押して歩いた。大椎八幡神社。

ポツンとあるこんな倉庫が絵になるほど何も無いという事

わたしの町「土気」は山の向こう側に位置する訳ですね

「ネムの花」が咲いていた。木の花というのは神々しい

人間は実に小さいものだ

わたしのいつものパトロール道。朝陽も長い影なんだね。

バラの実がいっぱい成っている農家の庭を見つけた。

車に轢かれた蛇を4匹見かけた。助けてはあげられない

用水路は亀だらけだ。夢を見たのか突然笑った。

もしかすると「半化粧」という植物かもしれない。
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