自走搬送
08年2月20日(水)「 自走搬送 」

「バイクも運びますよ。ただしガソリンは全部抜いておいてください」
 アリさんマークの引っ越し屋はそんなことを言った。いろいろと考えたが、市役所や銀行に行ったり、ちょっとそこの“ホカ弁屋”までといった転居直前の雑用にはバイクの方が何かと便利であろうという結論にいたった。つまりスーパーカブそのものは引っ越しの前日に自走で運ぶことにしたわけである。
 
 ダウンジャケットの下にトックリのセーターを着、下も釣り用のダウンパンツをはいてその上からさらにチノパンを重ねて履いた。手も軍手とバイク用の厚手のグローブを重ね、袖口をキッチリマジックテープで絞めつけるといった念の入れ様である。さらに、陽が登り気温が安定する10:00から14:00までの時間帯に“走り”が完了するように計画をたて、エンジンとタイヤまわりのチェックもおこたりない。準備万端とはこのことだ。風邪はひけないのである。引っ越しの為ということもあるが、仕事の方で今人が足りず、体調が悪かろうが交代・欠勤は絶対にできないのである。這ってでも出勤するのが決まりである。這って出勤し死んだ奴もいるぐらいだ。
 完全防寒の結果、事故って転倒しても怪我ひとつしなさそうな「着ぐるみ」「肉布団」及び「初めっからエアーバッグ」状態になった。つまり球に近い状態である。身長162cmで体重120kgぐらいの感じである。でこぼこが減るから表面積が減り、ラジエーター効果がなくなった結果ものすごく暑い。アンダーウェアに“汗(水蒸気)で発熱する繊維”製のものを着たのでなおさらである。“極端ジジイ”とはわたしのことである。
「追い風だけだといいなあ。背中が“帆”にになってガソリンの節約になるしなあ。“順風パンパン”なんちゃってなあ!」と訳のわからないことを言いながら出発。妻が「気をつけてよ〜、パパは結局1度も新しい家に住むことはなかったわねえ……なんてのはイヤだからね!」と言った。妻の台詞でオヤジのことをチラと思い出した。父は鹿児島から千葉に移転する際、転居予定日の2日前に突如肺炎で死んだのだった。

 外環下(298号線)をひたすら三郷・松戸方面に走る。国道6号線を1kmちょっとかすめた後、中山競馬場の前に抜けて14号線に乗ると、あれよあれという間に船橋だ。3車線ある大通りをグイグイ飛ばし、千葉駅を過ぎたあたりで大網街道(20号線)に入ると、もう田舎町の雰囲気満点で心もバイクもルンルンスキップ状態、冷たい風が心地好くてヘルメットのシールドを開けて走った。50ccのスーパーカブといえどフルスロットルで走り続けると時速65kmは出るし、タイヤも太く強化してあるので市街地の車の流れにはなんなく乗れる。調子に乗って普通車を追いぬいたりして白い目で見られたりもしたが、スーパーカブだとなんとなく許してもらえてしまうところがある。あっと言う間に新居のある土気(とけ)に着いてしまった。あっけないぐらいである。とはいっても3時間である。少し“伸び”をしたくてコンビニに寄る。しかし車でいつも3時間半かかることを思うとスーパーカブも捨てたものじゃない。ガソリンはおそらく10分の1ぐらいであろうし、すばらしいエコ車である。それはともかく実走行距離で70kmしかないのは少々驚きであった。信号などで止まっている時間が1時間ぐらいあると推測できるので、平均時速35kmぐらいだろうか。
 助六寿司と“濃い茶”を買い、新居に侵入する。まさに不審な侵入者に見えるに違いなかった。テンキーロックの暗証番号を忘れたりしたのでドアの前でバッグをひっくり返して探したりした。妻に無事に着いたことをとりあえず電話する。日当たりの一番良い部屋の出窓に肘をついて、立ったまま助六寿司を食った。隣家の庭木の枯枝に“ジョービタキ”のオスが飛んできて止まり、しきりに尻尾を上下に振った。ついこの前まで必死で追いかけていた鳥である。わたしは幻を見るような気分で「嘘だろ!」とつぶやいたが、目の前にその赤い鳥は確かにいた。少しだけ色が薄いような気がしたが、それは70kmを一気に走って来たわたしの目が疲れているからだろうとふと思ってみたりもした。
 突然だった。わたしの中にズンと寂寥感のようなものが湧いてきた。それは自分でもまったく予期しなかったものだった。原因も掴めないまま、わたしは食べたものを口に入れたまま噛むこともせず戻すこともせず停止し放心した。新しい家、妻や娘や母や姉夫婦をふくめたファミリー、同じ土地に集まれたこと、海、山、川……、すべて良いことづくめの筈ではあるのだが、出窓から見る遥か遠方の緑の山々がもうどうでもいいものであるかのように白けて沈んで見えた。
「蕨市(埼玉県)には35年も住んでおられたとですか?」
「はあ、18歳からずっとですけん、そうなりやすねえ」
 わたしは一人芝居をした。

 わたしにとって父は神である。わたしは折りあるごとにその神に問いかけながら生きてきた。
「とうさん、わたしの船は正しい方向に進んでいますか? 家を持つことは間違ってはいないですか? すべてを諦めたことになりませんか?」

 しかしながらこの神は、未だかつて何かを答えてくれたことはない。




            




mk

日当たり良好

駅前ロータリー

巨大なあすみが丘

帰りの駅のホームから
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