暮れの損は“クレソン”か? 真相はいかに!
08年12月30日(火)「 自生クレソンを摘みに行く 」
色々なことでのぼせた頭を冷やすために裏山に突入する。カケスの谷(3/18「カケスの谷」参照)の奥深く、冷たき湧水ありて修行?
にはうってつけだという噂を思い出したからだ。「40歳にして惑わず」どころか、54歳(年明け早々55歳だというのに)にして惑ってばかりいる。若者のように胸が苦しかったりする。もしかすると意外と欲が深いのかもしれない。理想の“仙人”にはまだまだほど遠い。飄々と生きていたいのだが無いものねだりに近い。。
突然「若い仙人」という言葉が思い浮かんで、姿形を想像して一人で笑った。まだ笑えるだけだけ余裕があるということか。
カケスの森は“私有地”なので、おおっぴらにズケズケとは入って行けない。以前にも書いたが、悪徳業者が市を巻き込んでそこに産業廃棄物処理場を造ろうとした経緯が過去にあり、土地の持ち主は大いにかたくなになり、排他的になってしまった。が一方で地元の自然保護運動や小中学校にはひじょうに寛容で、無料で開放してネイチャー活動やスクーリングなどは自由にやらせているようでもあるのだ。谷の入口にはそういった催しもの時に作られたとおぼしきオブジェなどが残されている。
わたしは一応ネイチャー活動家のつもりなので(“ネイチャー系ライター”という肩書の名刺を持っているもんね!)グイグイと奥へ突入した。湿地である。表面は枯れ草で被われているが靴はズブズブと沈み、午後2時を過ぎているのに日陰は霜と氷がまじったシャーベット状態である。滑ってカメラをダメにしてしまうことだけに気をつけてさらに進む。ズボンの裾とブーツは泥まみれになったが、それはそれで楽しい気分でもある。
畦をあるいて最奥へ。水が湧いている。ネイチャービデオなどでよく観られるように、川砂の踊る丸い部分があり、そこから水と雲母の微細なかけらがキラキラと光を反射しながら湧いてきているのだった。ちょっと感動する。
クレソンは探す必要はない。水路という水路、水たまりという水たまり、すべてがクレソンで埋め尽されていた。無造作にそして神々しく自生している。常識的な範囲で、そして礼儀をわきまえた感じで摘み獲られたあとがある。1度にたくさん獲らない、荒らさないという意味だ。散歩人もいい人が多いのだろう。葉を1枚摘んで口に入れる。香りはあるが苦みがない。15Cmほどのものを5本いただいた。
この土地に越してきて10ヶ月が経った。動き回っているつもりだが、いまだに新たな発見・出会いが多くて嬉しい。今日の自生クレソンもそうだが、自生椎茸やら自生松茸(公有林だよ! 誰が獲ってもいいのだよ)、伊勢海老など興味津々である。食い物系ばかりではない。「南総里見八犬伝」ゆかりの土地でもあり、もののけ・化け物・妖怪他、伝奇ネタも豊富らしいのである。
来年はひとつ、その辺あたりから攻めてみませう。
mk
グイグイと奥へ |
午後2時、氷は解けず |
クレソンだ! |
水が湧いている |
ウゲ! クレソンだらけ |
芹(せり)もいっぱい |