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一戸 清くん、会いたかったなあ

最後までピアニストだった

人がらがすべてだ

ひょろひょろだったのに

あんたがキャラそのものだ
2015年02月28日(土)「一戸 清(いちのへ きよし)

 迂闊にも風邪をひいてしまった。ウィルス性の胃腸炎を伴っているヤツだ。
 しかたがないので、自宅でおとなしくしていることにした。そしてWEb上をさまよっていて、一戸くんの死を知った。
 元「浜田省吾&THE FUSE」のFUSEでキーボードを弾いていた。その後、わたしのバックでもピアノ&キーボードを弾いてくれた人だ。安いギャラでやってくれていたのだと思う。
 リズム隊のフルバンドを組める予算は無いので、わたしとギターもう一人と、ピアノの3人でかなり長い間ライブをやっていた。全国ライブハウス100ヶ所巡りなんてのをやっていた。楽しかったなあイッペイちゃん。

 ちょっと情報が少なくて、いつ亡くなったのか、死因はなんだったのかはっきりしないが、たまたまFaceBookで再会して、「お互いジジイになったがまだなんか一緒にできるかもしれないじゃないか」と話していたのである。ずいぶん太ってしまって当時の面影は知っている人にしかわからないが、温厚でやさしくて控えめで、わたしが大好きな「いい人」だった。

 最後まで音楽に携わっていたのだなあ。映像関係の会社を経営していたらしい。今だったら、わたしの方から聞きたいこと、教えて欲しいことがたくさんあったのに。
 一歳しか違わなかったのだなあ。わたしは先輩面をして、威張ってピアノの弾き方にいろいろ注文をつけてしまった。
 彼の冥福をいのるためにも、わたしも今しか作れない新しい歌を早く作らねばならない。
 60歳は逝くには早すぎる。祈ります。

※写真はフェイスブックから借りました、許せ