八重桜を見に行ったのだけど
2010年4月8日(木)「 勇み足と早トチリ 」
平日だというのに珍しく家族全員が休みである。で、秋元牧場の八重桜を見に行こうと提案すると全員が同意した。これもまた最近では珍しいことだ。家族とはいえ、もう全員が大人で個々の都合と世界を持っているから、クールダウンしたい休日もあって当然なのだ。がまあ、分かっちゃいるんだけどなるべく外に連れ出して気分転換させようと気を遣って誘ってみて、いきなり「No」とはっきり言われるとちょっとさびしい気分になってしまうのだなこれが……。皆さんのご家庭はどうなんだろう? お父さんって、なんだか何処か孤独じゃないですか? フム、わたしだけがお子ちゃまなんだろうかなあ?
ま、いいかそんなこと。「行きたい!」となると居ても立ってもいられなくなるのが小林家の人々の悪い(良い?)ところだ。八重桜の開花時期やら標高やらといったことは少しも考えず、いわんやネットで調べるなんてこともなく、いきなりキャッシュコーナー(?)や食材の買いだしに走ったりする訳である。普通の桜(ソメイヨシノなど)がもうほぼ満開に近いから、八重桜だって「まあポツポツとぐらいは咲いているだろう」ってな超アバウトな読みなわけである。
「おそらく大丈夫だろう、咲いてるよ、ここんとこ暖かいしな!」と、わたし。
「そうよそうよ、そうに決まってるわよ! 私って運がいいんだから!」と、妻。
「当たり前じゃん! あたしなんかもう八重桜が咲いてるのを舞浜で見たし!キャッキャッ!」と、娘。
しかしながら……、秋元牧場は舞浜にある訳ではなかった。千葉のチベットと言われる、わたしの住む土気(とけ)より標高は高いのだった。そして妻の運もどうやら今日で尽きたようだった。
八重桜の蕾はルビーの粒のように硬質な光を放ち、口篭る少女のようにかたくなにたじろいていた。ピンクの八重桜の蕾が真っ赤であることを知ったのは、それはそれで新鮮で自然観察人としては収穫だったのだが、家族全員でしばし唖然・呆然として黙りこんでしまった。ただの一輪も咲いてはいないのである。おまけにわたしが「いいじゃないか幸せならば(相良直美)」という歌を歌って気持ちを逆撫でしたので、妻と娘は馬の方へさっさと行ってしまった。
「その馬はな、サクラという名前なんだぜ〜」とわたしが大声で叫ぶと「ヤエザクラっていう名前じゃないんだねえ!」と女どもが嫌味を言った。
お父さんってのは実に孤独なものである。
仕方がないので…というと贅沢な話だが、普通の桜の下で花見の宴をはる。たらふく(必要以上に)食って飲んで、枯草の上で横になった。わたしはビールの匂いに極端に弱いので、飲んだのはアルコール0.00%のものだったが、すっかり酔ったような気分になった。半夢状態のわたしの耳元で、女二人がこそこそと話している。
「今日みたいなさ、こういうのを“勇み足”って言うんだよねえ」
「ちがうわよ! “早トチリ”って言うんじゃない? だまされた気分ねえ」
いつの間にか八重桜が見れなかったのは、わたし一人のせいになってゆこうとしていた。わたしはどんどん孤独になって行った。人は孤独になると妄想の世界に入り込み、虚言や演技が増えてくるのだ。忘れたが偉い精神科の先生が言ってたもんねえ。
帰り際、牧場の入口で会った老夫婦にわたしは何の抵抗も無く言ったね。
「あと10日もすれば八重桜が満開になりますよ。ここのは有名だし、そりゃあ見事でねえ。花のトンネルが何百mも続いてですね、わたしなんか毎年来てるんですよー! 10日後にまた逢いましょう。ハッハッハッー!」
1回も来たことが無いのにだ、どうしてあんな事を言ったのだろうか。こういうのは何なんでしょうねえ。寂しい中年になってしもうたのかのう。
mk
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八重桜はまだ10日ぐらい後かも知れない。ちょっと勇み足でありました。
春はすべての動物たちにとって喜びである。暖かいということはいいことだ。
老馬はすべての運命を呑み込んで、自分の餌の順番を待つ。考えさせられるなあ。
言うこと無し。お見事である。これからもっともっと大きくなるんだろうなあ。
風の無い場所を探す。
透けて輝く光というのを、わたしは好きなようである。たまらなく美しき瞬間だ。
サービス精神旺盛な彼は、カメラを向けた途端に放尿してみせた。役者やのう!
場所を移して長柄ダムの桜である。ソメイヨシノは色・形、どれをとっても優等生。
この坂道を下って行くと長柄ダムにつながる。平日のせいもあるが人は述べ10人。
まだ知らない花だらけだ
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