犬吠崎でイカ焼きを食らうと幸せになれるという……
2009年5月26日(火) 「犬吠崎でイカ焼きを食らう」

 銚子という町には思い出がある。姉が鹿児島大学を卒業して、最初に就職したのが銚子だった。自身で望んだのだろうが、父母はどうしてそんな遠い土地に行かなきゃならないのか、と大いに嘆いた。
 わたしの方が先に故郷を出て埼玉にいたので、色々と力になるよう父母には頼まれたが、まあ実際には東京にいる叔父が尽力し、わたしは使い走りで動きまわっただけのような記憶。
 ボロいアパートの部屋に電燈を吊ったり、コタツや生活用品を揃えたりした。待てよ……? 春だったからコタツは変だ。細部はとっくに忘れてしまっっている。その程度の思い出だ。ただ、23歳のうら若き姉が、その日の夜からこんな寂しい部屋で一人で寝るのかと想像し、弟としてちょっと辛い気分になったのは覚えている。両隣が若い漁師と聞いてはなおさらだった。
 だから銚子を訪れるのは35年ぶり。「犬吠崎に立てば水平線が丸く見えるよ!」とよく言われるが、地球が丸いのはとっくに知っているし、似たような潮風は我が家の近くでも嗅ぐことができるのだった。「なんかターゲットになるものはないのか?」とWEBで検索していると、灯台の入口に「イカ焼き屋」があるのを発見、食指が動く。
「祭りでも縁日でも“イカ焼き”と出会ったら必ず食うこと」というのが親父の遺言なので食わない訳にはいかないのである。余談だが、イカ焼きでハズレというのは今まで一度も無かった。どこの町、どこの店のものも全部同じ味である。つまりあれは「普遍の味」なのである。

灯台の隣 “犬吠崎マリンパーク” のイルカショーのアナウンスが、辺り一面にけだるく漏れ流れていた。わたしはイカ焼きを頬張りながら、眼下の磯場で戯れるアベックを眺めていた。女のジーンズから尻がこぼれ、男が面白がってそこに海水をかけた。わたしは「最近のジーンズは股上が短いので風邪を引きやすいだろうなあ」と妙なことを考えながら二人の様子をボンヤリと眺めていた。
 丸い水平線に視線を移すと唐突に沖縄を思い出した。そして忌野清志郎が記憶の端にひょっこりと顔を出した。もうどのくらい前のことか思い出せないが、那覇港でニューイヤーコンサートというのがあったのだ。RCサクセションが、まだフォーク系のサウンドメイクをしていた頃のことだ。午前0時、港中の船の汽笛が一斉に鳴り響き、コンサートはクライマックスを迎えた。出演者も観客も入り乱れ「朝まで飲んで歌って踊り続けようぜー!」と雄叫びをあげた。出演料をもらって酒まで飲んで、有名人たちと肩を組んで狂喜乱舞する、こんな職業が世の中にあっていいのだろうかと、わたしは自分の頬をつねった。
 小さな記憶がスローに蘇えってきた。リリィに1000円貸したままだったこと、100円玉を入れるスロットマシンで20000円を儲けたことなどをだ。清志郎はとにかくベロベロに酔っていて意味不明のことを叫んでいた。フォークソングでは満足できないフラストレーションを、ちょうどその頃抱えていたのかもしれない。泥酔のあまり翌日も歩けず、みんなで彼を神輿(みこし)のように担いで飛行機に乗せた。まさにお祭りそのものだ。羽田に着いてからも彼の意識は戻らず、再びみんなで担いで浜松町まで運んだ。
……尻を海水で濡らした女が泣き出してしまったようだった。嘘泣きにきまっていたが、涙という名のフェロモンにやられて、男はたちまち切ない船虫になった。女の尻の白さが少し不潔な気がした。
「清志郎を、結局あの後どうしたんだったかなあ」わたしはくぐもった声で独りごとを言い始めた。
「イルカのひれには骨がないんですよ〜、み〜んな筋肉でできているんですよ〜。硬くなったり柔らかくなったり……」イルカショーの声は無気質に、そして能天気にずっと続いていた。
「スネークマンショーのようだネ亜利さん……そんなもの知らない世代か……」
「残された者にできるのは後始末だけなんだよ!……か。山崎努はなあ……スゴイ役者になっちまった」
「生きてれば……関口さんはいくつになってんだ?……まったくなあ」
 わたしの独りごともまた、とりとめもなくダラダラと、そしてだらしなく続いた。
 
 別のところでも書いた記憶があるが、FM愛知でわたしがDJをやっていた頃、清志郎がゲストで出てくれたことがある。つたないDJで度々NGを出してしまう、というか無言になってしまうわたしに彼は言った。
「小林君はアナウンサーじゃなくてアーチストなんだから、全然気にしなくていいですよ。初対面の人間にペラペラ喋れる奴の方が信用できないですよ」
 わたしだけの清志郎との暖かい想い出である。人生の宝物だ。いい人は早く召されてしまう。

「焼き魚」「焼き鳥」「やき餅」など焼きものはこの世にたくさんあるけれど、なぜに「イカ焼き」は「焼きイカ」ではいけないのか。そんなことを考えて走っていたせいか、帰路は同じ道を戻れず4Kmほど迷った。
 犬吠崎、自宅からメーター読みで73.8Km、所要時間2時間10分。お土産を家族や勤め先のガールフレンド(死語?)に買って、喜ぶ顔を想像しながらウキウキルンルン(死語?)で走り帰る。
 清志郎さん、わたしはすっかり軽薄な人生を送ってしまっている気がします。





              




mk
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向かう途中の「新川」

河口のハマヒルガオ

飯岡港は釣り船の港だ

到着「オオ!観光地」

「灯台元暗し」は嘘だ

磯場に降りても行ける

12倍ズームの威力

反対側には遊歩道もある

楽しいスーベニア

イカ焼き1匹¥500
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