05年12月9日(金)「 冬の空蝉 」
久しぶりに写真を撮りに出掛ける。減量を兼ねて歩きだ。目標、今年中にまず2kg減らす。
銀杏の葉ももうすっかり落ちてしまったのだろうなあ、と馴染みの銀杏並木を見に行く。あれれ? まだまだいっぱい葉がついているじゃないか。久しぶりに触れる外気と金色の光が目に美しい。わたしは夢中でシャッターを押した。
家に戻り画像を再生していると、50枚ほど撮った内の1枚にハッとする。銀杏の葉をアップで撮った写真の、隅の方の葉に空蝉を発見した。撮る時はまったく気付かなかったものである。アップにしてみると確かに空蝉だ、間違いない。夏の夕立にも負けず、秋の台風にも吹き落とされず、健気にしがみついていたに違いない。
わたしはもう1度、銀杏並木に戻った。
「あった、あった!」わたしはいつか版画のモチーフにでもしようと枝ごと折り取ろうとした。その時だ、パラパラッと葉が落ち、空蝉も金色のジュウタンの上に落下してしまったのだ。わたしは枯葉の上を必死で探した。いつまでもいつまでも探した。しかし無いのだ。風に飛ばされたのだろうか、風向きを考慮し落下地点を予想して探したが無かった。
「コンタクトでも落としたの?」孫を連れたバアサンがいっしょに探そうかと言った。が、まさか空蝉探しとは言えない。
「いや、今でっかいサソリがいたような気がして……」バアサンは孫の手をしっかりつかみ、走って逃げて行った。
そしてあきらめて帰ろうと足を動かした時、その蝉の抜け殻はペチャンコになってわたしの靴の下にあった。ああ、悪いことをした、雨にも風にも負けず今まで宮沢賢治のように頑張ってしがみついていたのに、わたしのせいで……。
なんとなく寂しい気分になって、また銀杏並木を歩いた。ん? あれは?
そうなのだ、一見丸まった茶色の葉っぱだと思っていたものが、よくよく目をこらして見るとまぎれもなく手足の生えた空蝉じゃあ〜りませんか! しかもそこかしこにたくさんあ〜るのだった。1枚の葉に2つ付いた魅力的ものまである。
人間はゲンキンな生き物である。さっきまで申し訳ないことをしたなどと思っていたくせに、すぐさま手に棒をもってジャンプしてしまうのだった。
部屋に持ちかえり、猫に壊されないように大きなプラスチックの透明箱に入れてまじまじと眺める。空蝉はただの蝉の抜け殻にちがいないが、わたしの中では空しいもの、寂しいもの、といったイメージがある。何年も何年も土中で生き、地上に出てからは約1週間の命、蝉の一生のはかないイメージのせいに違いない。
しかしだ、待てよ? 蝉は元々「土中昆虫」であり、死に場所を求めて地上に這い出て、歌いながら死んで行くのだ、と考えると実に幸せな一生なのではないか……う〜ん蝉め、たばかったな。わたしの妄想は夜まで続いた。
「ウワ〜、何なこれ! 気持ちん悪か〜、しかも10匹もおるが〜!」
妻はワビ・サビのわからん女であった。が、九州弁の真似は最近上手い。
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