2022年10月05日(水)「冬の川辺で気が付いた」
まだ悲しい気分でいる。「たかが犬が死んだぐらいで……」などと言わないで欲しい。おまけに妻がフォトフレームなどというものを手に入れてきて、ソラ君(犬)の写真を100枚ほど入れてスライドショーで流しっぱなしなのだ。居間のテーブルにつくと、嫌でもそれらが目に入るので自ずと思い出の雨霰(あめあられ)である。つくずくいい奴だったなあ、と涙がでる。
動物病院に連れて行くと、人間が大好きなものだから具合が悪いのも忘れて、ドクターや看護師さんに盛んに尻尾を振っている。呆れるほどに人(犬?)がいい。普通の犬は注射など打たれようものならドクターの手に噛みついたりするらしいのだが、ソラ君はブルブルと震えながら我慢をし、しまいにはドクターの手をぺろぺろと舐めたりするのだ。普通のビーグルの2倍ぐらい身体が大きかったが、大きい犬はやさしい性格、というのは案外本当かも知れない。
ソラ君もここには何度も来たなあ、と思いながら今月の渡り鳥の会も横芝光町の栗山川の川辺。カヌー遊びで、泳いだり中州を泥んこになりながら走り回ったりと楽しい時をたくさん過ごした。そういえば鳥の胸肉がことのほか好物だったなあ。渡り鳥の会員にすればよかった。
今日の仕上げ料理はまたまた「お好み焼き」である。雨だし気温も結構低かったので、久しぶりに炭火をおこした。なるべく犬の話はしないように努めていたのだが、ネモッちゃんも猫を飼っているのでペット話がついつい出てしまうのだ。レオ君(ネモッちゃんの猫)の虚勢の話になって関連してわたしはあの日の事を思い出したのだった。
妻と娘は、その方が長生きするという理由でソラ君の虚勢を決めた。わたしは別に子犬が欲しい訳でもなかったが、金玉を取るということを同じ男としてどうしても同意できないでいた。何度か口論になったが“長生き”の一言で押し切られてしまった。
ちょうど明日手術という日にソラ君がわたしの部屋に入ってきた。うすうす何かを感じていたのかも知れない。
「父さん、明日僕は金玉を取られるの?」
「まあな」
「痛いのかなあ」
「まあな」
「金玉を取ると女みたいになるんでしょう?」
「まあな」
哀れでならなかった。わたしはごくごく自然にソラ君のチンチンを優しくつかみ、愛情を持って手淫した。彼は驚き、うろたえながらも腰を振り、そして最初で最後の射精をした。勢い余って失禁までしたのには参ったが、照れくさそうにしている彼の頭をわたしはずっと撫で続けた。
「小林さん、いいことしましたねえ。女には分からないです。それで良かったんですよ」とネモッちゃんは言った。
実は、今日気づいたことがある。わたしはソラ君が少年のままで死んだ気になっていたが、人の年齢に置き換えれば、ほぼわたしと同じ68歳ぐらいだったということだ。平均よりは少し短い生涯だったかもしれないが、それなりに幸せな一生だったのではないだろうかと気づいたのである。
炭火はいい、心まで温まる。だいぶ気持ちが楽になった気がする。 |