08年3月27日(木)「 ほんとうの別れ 」
休みの日はほんとうに早起きになってしまう。しかし今日はちょっと違っていた。お湯を沸かして猫たち用にササ身を茹で、自分用にコーヒーの準備を済ませてもなかなか目が覚めてこない。多少花粉症の気はあるのだが、目がチクチクイライラして油断すると上のまぶたと下のまぶたが一瞬のうちに溶接・融合してしまいそうである。コーヒーメーカーの4杯分を全部飲み終わる頃妻が起きてきた。私のコーヒーは? という顔をしている。
「どうしたの?」妻が尋ねた。
「夢見が悪くてねえ。ここ2、3日よく眠れない」
「あ〜らら、珍しい」妻が笑った。
確かにわたしにしては珍しいことだ。“ちょこ寝の小林”と職場でも言われているぐらいで、10分の休憩でもイビキをかいて寝れるのだが。
「どんな夢なの?」
「麗音(娘)が井戸に落ちてゆくんよ。狭い筒のような井戸で、壁に爪を立てながら止まろうと抵抗するんだけど、それでもズルズルと助けて〜とか言いながら落ちてゆくんだな、どこまでも永遠に」
うまく緊迫感を表現できないまま、わたしはそんなことを言った。
「麗音の落ちて行く姿がずっと見えてるっていうことは、パパも一緒に落ちてるわけねえ、しかもパパは頭から落ちて行ってるわけねえ」
そんなに冷静に分析すんな! と言いたいところだがなるほど、気が付かなかったが言われてみればそうだ。するどい。
「それはあれねえ。麗音がまたこの家を出て、また一人暮らしを始めるんだろうなあなんていう想像から来る恐怖感というか、寂しさね」
う〜む……それもするどいかも知れない。わたしは感心してしまった。
「こうしてまた一緒に住むことになっちゃったから、なおさら子離れできなくなっちゃたんじゃないの? 強がっても甘ちゃんだわねえ」
言われてみればそういうこともあるかも知れない、とわたしは思った。娘が交通事故で死にかけたりしたものだから、前にも増して心配な気持ちが強まったのは確かだ。それこそが娘にはウザいことで、わたしから離れて一人暮らしをしたくなる理由そのものなのだろうが……。
「血が繋がっているんだからねえ。ほんとうの意味でのよ、本当の意味での別れはパパと麗音の間には無いわよ。親子双生児だからお互い反発するところが表面に出ちゃうんだろうけど、いいわねえ、親子だもんねえ。そこが単なる夫婦の私とは違うところね。私とは所詮他人だしねえ」
たいした意味など無いはずだが、ちょっと違う方向に話が行きそうな気がしてわたしは半ばわざと口ごもってみせた。2ラウンド目のコーヒーメーカーがボコボコボコと音をたてた。わたしはもう飲む気になれず、妻のカップだけになみなみと注いで差し出した。「サンキュウ」妻は再び笑みを呼び戻した。
「ところでさ、パパはどこへ落ちていこうとしてるんだろうか? 結構悪いからねえあんたは、人の良さそうな顔してるくせに腹ん中は真っ黒、演技もうまいし要領いいし。地獄かしらねえ?」
「お、お、お前ほんとうにそう思ってんのか?」
「冗談よ〜、冗談。パパは自分では冗談好きのくせに、人の冗談を真に受けるところがあるから恐いわまったく! おちおち冗談も言えない」
するどい、ごもっとも、おそれ入りました、その通りでございます、参りました、あんたは偉い、偉いですとも……。無言の時間がまた少し流れた。わたしは自分が落ちてゆく地獄を妄想しながら、もうだいぶ時間の経ってしまったカップの底の冷たいコーヒーをズルズルズルッと音を立ててすすった。地獄の鬼が血をすする音をイメージしてやったのだが妻にはわからないようだった。
「ねえ、お花見に行きましょう」
妻がすっとんきょうな声で言った。
「麗音も気分転換に外に引っぱりだした方がいいし。開花宣言も出たことだし、いい所を発見したって言ってたでしょう? カケフの谷だっけか?」
「カケスだよ、カケス。カケフだったらハゲたオヤジの谷じゃないか」
4月から娘はまたどこかの学校に通うらしく(まあいいさ)、そうなると家族でのんびり散歩なんていうのも出来なくなるだろうから、という提案である。足のリハビリも兼ねてなるべく“歩き”に慣れさせておいた方がいいというわけだ。
「“谷”の回りなんか桜だらけだぜ。この前犬の散歩のオジジに聞いたところ200本はあるって言ってたなあ」
「200本! 行こう、行こう、お花見だ、お花見だ。わ〜い、わ〜いお花見だ〜!」
妻は万歳をしながら猫たちを蹴散らした。わたしは“まだ咲いてないんじゃないかあ?”とちょっと不安を感じたが、妻の“万歳踊り”でだいぶ目も冴えてきたことだし「なら、まあとにかく行ってみるべえ」と言った。
「うわあ! 山だ、ジャングルだ! ヒューヒュー!」
きつい下り勾配の杉の林道を歩きながら、娘は小学生時のような声をあげた。花粉が飛び交っているはずだが不思議と平気だ。
「こういう場所が家から15分の所にあるってのがいいだろう?」
わたしはちょっと得意気に言った。
「そうだろうか? こういう所というのはやっぱり3、4時間かけて来るほうがありがた味というかレジャー性というか、イベント性といおうか、非日常性があっていいのじゃないか?」
「お前はいつからそんな難しい言葉が使えるようになったんだ?」
「まあね」
何が「まあね」なのか少しもわからなかったが、わたしは娘を外に連れ出せことに十分満足していた。先日の友人が遊びに来た時とは条件が違う。ウグイスがもう上手に鳴き、たまにホトトギスの声も混じった。ジモピー(地元の人)に聞くと、もうじきカッコーが見られるという。夏遠からじ、と話をまとめたいところなのだがとんでもない。200本の桜の咲き具合の方はわたしの心配が的中してしまった。0.3分咲きぐらいだろうか、やっと蕾の半分ぐらいまでピンクになってきた感じである。花見にはまだまだ1週間はかかりそうだった。
「1週間後にまた来るべえよ」その一言で娘が十分に今日の散歩を楽しんでいるのが分かった。わたしはカケスを探す目を、そして妻は路傍での植物採集の手を休め、顔を見合わせて拇(おやゆび)を立てた。ゆっくりと、ゆっくりと家族3人で歩いた。わたしは妻が言った“本当の別れ”というものについて考えながら歩いた。
娘の足はだいぶ良くなってきている。3つに分裂した右大腿骨のまわりには新しいゼラチン状の骨ができてきているそうだ。今はまだチタンのボルトが体重を支えているが、まあこのままいけばたいした後遺症も無いだろう。事故当時の状況を今思えば、よくぞ回復したものだとつくづく思う。チタンボルトを抜き出す手術がもう1回残っているが、それは明るい手術だ。
200mほど先にピンクの塊が見えた。おそらく早咲き種の桜だが満開に近い。全員小踊りした。自然と急ぎ足になる。
「足が熱い。足の中が熱いよ」と娘が言った。ちょっと激しい運動を続けると中のチタンに熱がたまって肉の中が熱痛いのだそうである。わたしにはまったく経験のないことなのでその痛みは分かってあげられない。「サイボーグみたいだな」と言いかけたが可哀想になってやめた。
“カケスの谷”の入口でその「ソメイヨシノ」じゃない桜の満開を愛で、小休止する。疲労回復には甘味が一番だ。カリントウをボリボリ食っているわたしたち3人に散歩の犬たちが鼻を向け、おこぼれに預かりたいのか近づいて来ようとするのだが飼い主たちは奇異な者を見る目で犬のリードを引いた。妻が飲み物を車の中に忘れてきてしまったので、娘と二人で妻に死刑を宣告して早々に腰をあげる。
気温が上がってきた。日が当っている場所は暑いほどだ。1時間ほどの間に桜も少し開いてきたような気がしたが、それはまんざら気のせいではないようだった。山が開けて住宅地となっている辺りでは早朝から直射日光が当たる。さらに谷の斜面からの反射もあり「振り向くと咲いていました」という現象も起こりそうである。「陽が照りさえすれば、谷は聖火の点火台のようだな」開いた幹桜を見て娘がまた奇妙な表現をした。
大藪池は外周がだいたい2.8kmぐらい。ゆっくり歩いているので健常者にはものたりないぐらいの距離だが、身体に痛みをかかえる者にとってはちょっと難儀だ。無理をさせてグニャリと曲がりでもしたら笑えない。
あたり前だが来る時に下った急勾配の林道を今度は登る。娘自身はガンバリ屋なので多少無理をしたい性格なのだが、足がそれを許さない。はがゆいのだろう、時々突飛な行動をとる。カラスの鳴きまねをした。とてもリアルだったので10数羽のカラスに囲まれ騒がれた。足は熱いし、カラスはしつこいはでかなりイラツイたのだろう。娘は谷にこだます程の大声で叫んだ。
「地獄に落ちろ〜!」
わたしはビクッとして苔に足をとられた。
家に戻った直後、わたしの携帯電話が鳴った。
「あの〜、こちらは浦和東署の藤田ですが、小林りんぱくさんですか」
「はあ、小林ですけど」
「あのですね〜、平成17年に小林さんが盗難届を出されたバイクなんですがね……」
「えっ?」
DT50(ヤマハのオフロードバイク)が見つかったというのだ。
あいつ(DT50)との別れは「ほんとうの別れ」じゃなかたんだ!……と、わたしは受話器を持ったまま呆然とした。