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道には幸運も落ちている

売ってる奴よりいい粒

味見ばかりしているから…
2016年09月09日(金)「拾い食いと拾い物食い」

 栗を2kgほど拾ってきた。量もさることながらなかなかの粒揃い、田舎生活の醍醐味である。
 いつも言っているが、タケノコ・梅・栗などはこっちへ越して来て以来1度も買ったことがない。道端にいくらでも落ちて(生えて)いるからだ。
「“拾い食い”なんて卑しいなあ」と言われそうだからちょっとだけ反論させてもらうが、“拾い食い”というのは定義的には“拾ったその場で即食べること”だ。
 わたしのように神の恵みに感謝しつつ拾い集め、必ず直前に十字を切ってからありがたく食するのは“拾い食い”どころか“崇高な儀式”と言うべきであろう。
“占有離脱物横領罪”? 貴様〜まだ言うか!死んでしまえ。

 半分を冷凍にし、もう半分を茹で栗にした。皮剥きが面倒だが、犬たちも含めて家族全員の好物だから、お父さんは指先を痛めながらもサービス精神を持って気配り・目配り・心配りを励行するのだった。何のこっちゃ?
 しかしながら、人間というのは単純作業に没頭すると、脳はかえって自由に開放されるものらしい。皮を剥きながら、わたしはすっかり忘れていた40年前の出来事をフッと思い出してしまった。
 拾った物を食った記憶は多々あるが、珍しさという点でこいつの右に出るものは無い。

 18歳で上京し、埼玉県の蕨(ワラビ)市に部屋を借りた。近くに美大専門の予備校があったからだ。狭い土地にたくさんのアパートやマンションが立ち並び、人口密度日本一というのが唯一自慢の蕨市である。裏を返せば狭苦しく雑多であるともいえるのだが、わたしはそこが特に気に入っていた。
 アパートは、30m先が川口市との境といった微妙なロケーションに建てられていて、そこは豊かな川口市と貧乏な蕨市の差が一目で分かる一帯だった。川口市には公営ギャンブルや工場群があり財政的に豊かだったのだ。向こうは舗装道路、こっちは砂利道というぐらい差がハッキリしていた。
 境目を流れるドブ川に「ネコ橋」と呼ばれる橋がかかっており、わたしはそれを渡って川口市側の市場によくオカズを買いに行ったものだ。八百屋と魚屋と肉屋と乾物屋が寄り集まった初期スーパーマーケットの原型みたいな店だった。

 ある夏の日、わたしは彼女(当時の)と連れ立って、いつものように市場に向かっていた。すると前方50mに何か得体の知れない生物がのたうち回っていた。遠目だが60cmぐらいの棒状の生き物だった。
 わたしも彼女も「ヘビだね」「そうだね」と言った。ドブ川の所々に蓋が被せてありその上はグリーンベルトになっていたので、ヘビが居ても少しもおかしくはない環境だったのだ。
 しかし、見ていて段々不思議に思い始めた。その生物……のたうち回っている割に一向に移動しないのである。ヘビだったらスルスルッと物陰に隠れてしまうはずなのだ。
 わたしと彼女はいつのまにか駆け出していた。

 それは「生きたウナギ」だった。しかもかなり元気で色艶も素晴らしい奴だった。わたしは自分の目を疑った。あり得ない場所にあり得ない奴がいたのである。すぐ近くに魚屋は無かった。ドブ川に生息できるとは到底考えられなかった。まるで砂漠でピチピチ跳ねる活きた魚を拾ったような感動だった。まんまだ。
 わたしと彼女は買いものに来たことも忘れ去り「蒲焼き、蒲焼き…」とスキップしながら持ち帰った。あくまでも想像でしかないが、おそらく活き魚を運ぶ業者の車から何かのはずみでこぼれ落ちたのだろう。

 わたしは、幼少のころ母がやっていた通り、まな板にキリでウナギの頭を刺し止めて腹を割き、慎重に慎重にさばいた。神の恵みというよりもまさに神そのものを捌いているような感覚だ。蒸して焼いてタレをかけ、さらに2度焼きした。おりしも土用のウシの日だった。
 一匹分の肝しか無かったので“肝吸い”は味が薄くて物足りなかったが、蒲焼きと背骨の素揚げはなんとも美味で天にも昇る思いであった。
 困ったのは、その後も同じ場所を通る度についウナギを探してしまうことで、彼女が「二匹目のドジョウは居ないって!」と言う度に、わたしが「ドジョウじゃなくてウナギだって!」というコントのような掛け合いがしばらくの間続いたのだった。

 この年は色々なものが舞い込んで来た年で、台風の翌日に「つがいの鶏」がドアの前に座って居たり、まったく訳が分からないが「新巻シャケ」が一匹ドアの取っ手に吊るしてあったりした。まあそれらを食ったかどうかは想像にお任せするが、後で聞いた話として「新巻シャケ」は実はアパートの大家さん宛だったことが判明した。当時、大家さんがわたしのことを気に入ってくれていて毎日のように部屋に遊びに来ていたのだ。川口市の鋳物工場を経営していて叙勲までした人だったが、会うたびに「シャケを知らない? ホントに知らない?」といつも聞いてくるのだった。
 後年、詐欺にあって一文無しになったと聞いたが、なんだか彼の人生を狂わせたのは自分のような気分になって、後々までその思いはずっと付きまとった。
 
 ア! ハイ、確かにわたしが新巻シャケ食いました!