09年1月1日(木)「 初朝日 」

 わたしの住む土気(とけ)は千葉のチベットと言われている。なのでここに住む人々は「tibatibetan(チバチベタン)」つまり「千葉のチベット人」と呼ばれているわけだ。嘘である。
 が、とても寒い。暖かいことで有名な房総にあって、標高は130mほどあるらしい。笑える程広い「昭和の森」という公園はさらに標高が高く、丘の上からは遠く九十九里が臨めて、1日未明には御来光を求めて人が集まる。
「みんなキッチリ正月しているんだなあ。1年をケジメってるなあ。それに比べてファジーだなあ、うちの正月は、いつからだ?」
 昨日、わたしは珍しくセンチメンタルになった。

 ましかし、1夜明ければそんなことはどうでもいいのだ。おいらには関係ないし〜、仕事柄しかたのないことだし〜、恒例の元旦出勤だし〜……だし〜、……だし〜、だし〜、だしだし。
 ダシの効いた旨い雑煮をいただき、根性決めて家を出る。人が少ないので嬉しくなる。越してきて以来、初めて電車で座って行けそうである。
 電車を待つ2分の間にホームで初朝日の写真を撮る。会社に着いたら何人かの友人たちに送る「アケオメ・コトヨロ・イツアソ」メールに貼りつけようと考えたのだった。年賀メールで、今年いつ頃遊ぶか先行予約を取るというのがここ何年かのわたしのやり方である。
 会社に着いてイツアソメールを出すと、ポツポツと返信が届いた。「4月になったら」とか「来月にでも」とか「もう遊ばないよ〜ダ」とか色々ともどってきた。
 そんな中で、最近知りあった若い女性からの返信メールにわたしはちょっと感動した。彼女は新潟に帰省中なのだが「これから祖母のうちに新年の挨拶に行きます、それから……」とあったのだ。個人があり、家族があり、故郷があって、親族があり、そして一族があり歴史が作られる。普通のことだと思うのだ。あたりまえのことではあるのだ。正月にはきちんと親戚親族の家を挨拶して回り、結束とまではいかなくともその関係を確かめあう。日本の正しい正月の姿、在り方ではないか。
 しかし、わたしはもうそういったことをやがて35年もやっていない。色々な事情が重なり、拒んだ訳ではないが自然とそうなってしまったのだ。鹿児島だけではなく親戚はかなり関東にもいる。しかしわたしはおそらくその10分の1の数も把握してはいないだろう。これは猛省すべきことなのではなかろうか。そんな気がしたのだった。
 その新潟に帰省中の彼女とは、もちろん遊ぶ約束などしてもらえる筈はなかったが、なぜか奇妙に嬉しくて何度も返信メールを読み返した。父と母と姉とわたしで、親戚の家々を挨拶してまわった昔むかしの正月を思い出していた。「快傑ハリマオのお面」と「ベスパのスクーターにまたがった10歳の自分」の映像が頭の中で交差・交錯した。それは土気駅の初朝日の写真と色味が同じであるような気がした。

 わたしの職業は宿直仕事である。あす午前10時には明けである。そして帰宅すればすぐに、直線で100mしか離れていない母と姉から「集合」がかかるだろう。それぞれが作った“おせち”を持ち寄る正月の食事会である。
 わたしはため息をひとつつき「そうやなあ、あしたはきちんとネクタイをしめてスーツで行こうやなあ」とふと、ひとりごとを言った。




 




mk

わたし一人分のおせち料理 有り難いが雑煮以外食べれなかった

JR外房線「土気駅」の1月1日07:35であります


“初日の出”ではないのだ。「初朝陽」である
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