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イアホンと高校生」2014.08.29 その日、なぜか電車の中で男子高校生を観察している自分がいた。勿論わたしはホモでもゲイでもないが、偶然にも目の前にちょっと奇妙な行動をとる男が座ったという訳なのである。 ステレオイヤホンを耳に付けて、彼はいきなりコードをいじり始めた。どうやら右か左のどちらかが中で断線しているらしく、片方からしか音が聞こえてこないといった様子である。 ジャックの付け根の部分に原因があるということを彼はもう分かっているらしく、そこを集中的かつ執拗に触っているのだった。だからその断線は昨日今日に始まったことではなかろう、とわたしはなんとなく推察した。 ひねってみたり結び目を作ってみたり、果ては噛んでみたり爪を立てたりと、彼は可笑しいほどに色々な業を見せてくれるのだった。時々カリッとかガガッーとか繋がって聞こえるのだろうか、いつまでもいつまでもしつこくやっている。まあそれをいつまでも見ているわたしも変だが、あまりにも真剣で切羽詰まった雰囲気が彼の表情に溢れていたのだ。こりゃ〜結末を見ない訳にはいきませんぜご隠居! ってな感じだったのである。あ、別にご隠居はそばに居ないのネ。 いっそのことコードの外皮ごとブチッと切れてしまえば♪チャンチャン♪で気持ちの整理もつこうというものだが、最近の軟質ビニールはなかなかに丈夫らしいのだった。 時間は刻々と過ぎて行く。 2〜3日前まではなんとかそうやって聴けていたのだろうか、だんだんと彼の口元に焦りの気配が濃厚に現れてきた。 「なんで今日はダメなんだ、チクショウ」 きっとそう思っているに違いなかった。唇が波形に歪んで悲壮感が漂っている。かわいそうでもある。もしかすると、とても貧しくてもう二度とイアホンが買えない家庭の子なのかもしれない。 一瞬だが、わたしの脳の隅っこで「赤の他人だけどイアホンぐらい買ってやってもいいかな」と、とんでもない妄想が生じたぐらいだ。 が、変に同情してしまうと、彼のイライラが一挙にわたしにまでも伝染してしまいそうで、わたしは首を左右に小さく振った。 行動の一部始終をわたしに見られていることを、彼ももうとっくに気づいているようで、当然意識過敏になっているようだった。後には引けないといった顔付きになってきていた。 そして彼の指先自体も、時間にかきたてられると同時にまるで自らが目指すがごとくに極みの領域へと向かって行ったのだった。 クネクネヌメヌメと柔らかいブチルゴムのように動きはじめた。まるで糸コンニャクを丸めて縛る熟練工の指先のようだ。どこがコードなのか指なのかもう分からない程のクニャクニャさである。イカとタコが交互に足をからめながら、エロエロエロと水中で異種交配をしているようにも見えた。スムーズ過ぎる動きは、まるでベトナムやタイ式のオイルマッサージのようでもあった。 そして、ポケットからは輪ゴムが登場した。縛って固定するつもりなのだろう。2〜3度試みていたようだったが、弾力という輪ゴムの最大の特性が、逆に決定的な欠点になってしまっているように見えた。輪ゴムは結束はできても、固定は難しいのだ。冷静な分析にわたしも酔っていた。 間髪入れず洗濯挟みが出てきた。思った通り、彼はもう何日もそうやって小道具を使いながら車中で音楽を聴いていたのだ。思わずわたしは拍手をしそうになったが、はっと思いとどまり、結局一本締めのような良く分からないただのガヤをやってしまった。 馬鹿なジジイを見透かすような目付きで、彼はわたしを今度はジーッと直視した。 で結局どうなったのか……。 百戦錬磨のイカタコフィンガーテクニックを以てしてもイアホンは治る事はなく、一時的に繋がることもなく、ついに彼は片方だけを耳に付けて目をつぶってしまったのである。 ああこれで全て終了だな、5駅分ぐらいの時間だったから、だいたい20分だ。 「良くやった方だと思うよ、仕方がないよ。それにしても根気があるんだなあ君は。やれることは全部やったよ」とわたしは賞賛・絶賛に近い感想を抱いたのだった。 ところがだ、1分もしない内に新たな動きがあったのだ。彼は足元に置いてあった巨大なスポーツバッグに手を伸ばした。 音楽は諦めて漫画でも読むのであろうかと想像したのだが、携帯電話を取り出したのである。そしてなんとなんと、その携帯電話には真新しいピカピカのイヤホンが付いているではないか。 そして彼は、まったくもって何事も無かったように携帯電話からイヤホンを抜き取り、音楽プレーヤーに挿していきなりフンフンフンとアゴでリズムを取り始めたのだ。 「何〜がフンフンフンだ、アホかおまえは」と勿論口には出さなかったが、わたしの目は十分にそう言っていたのだと思う。 「フンフンフン、鹿の糞(古いネ)、アホはおまえじゃ〜!」といった顔で、彼はわたしをジロリと見返した。 何十年か前にあった“なんちゃってオジサン”のような車中パフォーマンスだったのだろうか。イヤイヤ、こんな地味な小ネタがパフォーマンスである筈がない。とすれば単なる高校生の悪戯だったのだろうか。う〜ん、それも考え辛い。彼はそんな気のきいた(?)ことのできるタイプにはとうてい見えないのだった。 いずれにしてもくだらない事にずいぶん長い時間付き合ってしまったものだと、わたしは半ば自己嫌悪に陥りながら目をつぶった。しかしずっと見続けていたせいだろう、瞼を閉じても彼の姿が残像になってはっきりと見えるのだった。 どんな音楽を聞いているのか想像もつかないが、今彼は喜びに溢れさらにノリノリになっているのだろう。きっとアゴだけでなく爪先でもリズムを刻んでいるかも知れない。ロックなのだろうか、ダンスミュージックなのだろうか、はたまたレゲエなのだろうか。バンドとかをやっているのかもしれない。あ、もしかすると自分達のバンドの演奏を録音したものを聴いているのかも知れない。だとすれば見上げた向上心じゃないか、あれあれ? もしかして彼はすっごくいい奴なんじゃないか? なるほど、そうだったのかあ……。 わたしは自分の能天気さに呆れながらも、パフォーマンス及び悪戯などと邪推した自分を恥じた。 かすかに床をタップする音が聞こえていた。 「ノリノリだねえ高校生君」 わたしはやさしくて、そして若者に理解のある“人生の大先輩”の気分になってそっと目を開いた。 ……? 彼はアゴと爪先でリズムを取りながら、スティービーワンダーのように体を左右に揺すって陶酔の世界にひたっていた。 それはいいのだ。それはいいのだが、わたしは彼の手元を見て愕然とした。 彼は件の断線したイヤホンを再び取り出して、先ほどと同じようにネチネチグリグリエロエロといじくり回していたのだった。 そうなのだ、もうお気づきだろう。わたしが「コードいじくりたい症候群」という現代病を発見したのが、まさにその日だったのである。 その後は皆さんご存じの通り、わたしは世界中の人々から「ドクターいじくりたい」と愛称で呼ばれるようになったのである。 |
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