「 同姓同名 」
もう何年も疎遠のままだった親戚から、ある日ちょっと不思議な電話がかかってきた。まだ数年前のことだ。
「まあ〜! ぜんぜん会わない内にみちひろチャン(当時45歳ぐらい)は偉くなってしもうてねえ、末は国会議員とか狙ってるとね? 応援するからねえ、ところで……いつから大阪に移ったと? 東京で歌手やらしちょった話は聞いちょったけど……」
どうも話が通じないのだ。わたしとしても意味のわからない、噛み合わない事が多すぎて困惑してしまった。そしてよくよく聞いてみると、笑い話のような真実が明らかになった。
関西の方に「小林みちひろ」がいたのだ。しかも彼は若手のなかなかに勢いのある市会議員であるらしく、公式ホームページなどもあるという。
歌手をしていたころ、会社の考えというか方針というか、つまりわたしが売れないのは「倫博」という漢字が一般的には読めないせいだろうから「みちひろ」に変えてしまえということで、一時期レコードを「小林みちひろ」名で出していたのだが、親戚はそれで勘違いをしたらしいのだった。
わたしは何故か非常に嬉しくなってしまった。常日頃、世の中にかならず自分と同姓同名の人がいるだろうと想像はするのだけど、それまでまだ一度もお目にかかった事がなかったのだ。ちなみに「小林ひろみち」にはふたり会ったことがある。
で、すぐに「小林みちひろ」のホームページを検索した。ガハハハ! 似ている、顔が似ている! 瓜ふたつ、と言えば嘘になるが、明らかに似ている。わたしを10歳ぐらい若くした感じだ。そしてたったそれだけのことでわたしは大阪市議会議員の「小林みちひろ」さんのファンになってしまった。同姓同名の上に顔まで似ているということは、もしかすると前世にいくばくかのかかわりがあったのかも知れないし、おかしな話だが“生きる勇気”、“頑張る勇気”のようなものまで湧いてきた。
「あの小林みちひろさんが頑張ってるんだ、この小林みちひろも頑張らねば」みたいな気持ちである。人間はちょっと辛いことがあると何にでも頼ろうとするからね、もしもこの大阪の小林さんが「小林みちひろ教」なんてのをやってたら、わたしは即座に入信していたかも知れない。そうそう「小林みちひろ」を略して「コバミチ」と言っているのもわたしと同じだ。
ホームページの顔写真をまじまじと見ながら、わたしはブフブフと笑った。
そしてさらにもう一つの新たな発見をした。
「あれ? この人、俺にも似ているけど、それはまあいいとして、誰か別の人にも似ているなあ? 誰だっけ?」
ビクター音楽カレッジでボーカルや作詞作曲を教えていた頃、ちょっとした配置更えで担当が変わり、わたしは「カラオケ教室」の担当になった時期があった。で、「カラオケ教室・天城超えバスツアー」というのを企画したことがあったのだが、その時わたしはそのツアー客に異常にもてたのだ。客といったって皆60歳以上のバアサン達だし少しも嬉しくはないが、一応わたしはツアーの添乗員役だったしサービスに手抜きはしない。伊豆の「天城峠」を越える時、全員「天城越え」という歌を一回ずつ歌うことになっていたのだが、とても全員は歌いきれない。わたしは昼食を予約していた食堂の、駐車場の中にバスを停車させ、全員が歌い終わるまで待った。合計68回同じ曲を聴かされて、さすがに三半規管がクラクラしたが、そんなことにもめげずに笑顔でサービスしつづけた。そんなこともあってか、わたしはツアーが終わりに近づくころ、バアサン達から素敵なニックネームをいただいた。
バスの後部で何かコソコソ話していたバアサン達は、わたしに1・2の3で振り向くように言った。そしてわたしがそのタイミングで振り向いてみせると、バアサン達はいっせいに声をそろえてそのニックネームを叫んだのだ。
「せ・ん・だ・み・つ・お、さ〜ん!」
わたしはムッとしながらも、そのおばさん達の黄色い声にジェスチャー付きで応えてやった。
「ナハッ、ナハッ!」
機会があったら是非検索して議員さんのホームページを覗いてみて欲しい。そこにはわたしに似た、さらには、せんだみつおに似た小林みちひろさんがいる。ナハッ!
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