写真で見ると迫力に欠けるが、実際はメチャクチャ派出だ。
左の写真の家はまだ常識を踏まえた方だ。25日近くなると、センスのかけらも無い、パチンコ屋みたいなものがさらに増える。

23時を過ぎると電飾屋敷はいっせいに光を落とす。誰が仕切っているか知らないがすごい統制力だ。
「 電飾戦争 」

 小さなモミの木に、キラキラ星やミニチュアの長靴をぶら下げ、ささやかな豆電球の連なりを巻き付けたクリスマスツリーは実に良かったなあ、と思うのである。クリスチャンでなくても年に1度ぐらいは楽しみ・遊びとしてそんな年中行事があってもいいなあ、と思っていたのだ。
 表参道に勤め先があった頃も、街路樹の派手な電飾をまだ許してやる余裕があった。「年になあ、年に1度だもんなあ、恋人たちも喜んでいるんだろうしなあ、この電飾のおかげでロマンチックな気分になって告白したり、されたりってこともあるんだろうしなあ、いいことだ、うん、いいことだ」と無理矢理納得したものだった。
 
 がしかしだ! なんだこの流行は、バッカじゃなかろうか。なんで自宅の庭の立ち木すべてに電飾を施し、12月1日からいっせいにスイッチオンするのだ? 何かクリスマスセールでもやってるのかお前たちの家は!
 いつ頃からだろうか。わたしの周辺では7〜8年前からだろうか。娘が中学に入った頃、その同級生の家が最初に始めた。初めはまだ可愛いもので、玄関先のヒマラヤ杉にクリスマスツリー用の連結豆電球をややおおげさに架けた程度だったのが、年を重ねる毎に派手になり、近所の何軒かが真似だして、とうとう最近では10軒ぐらいの家が「これでどうだ! まぶしいだろ! この辺じゃ内が1番輝ける家よ!」と言わんばかりの競い様である。もう庭木どころか家全体である。犬小屋も電飾だ。首輪も期間中はチカチカ点滅するやつに変えているようだ。
 中には今年初めて見たけれど、鹿(トナカイ?)の形をした電飾(等身大だぜ)が光りながらモーターでクルクルと回るものまで出現した。バッカじゃなかろうか、い〜やバカに違いない。み〜んなバカなのに電気代だけがバカにならんのだ。ダジャレを言ってどうする!

 センスというのは微妙なものなのだ。わたしは最近また絵を描き始めたが、なにか洒落たテーマのものを描きたいと日夜頭をひねって考えている。
 あくまでまだ考えている段階で、手は着けていないが例えばこうだ。
「葡萄」というタイトルの絵は「もぎ取った葡萄の粒をテーブルの上にキッチリと葡萄の房の形に並べて」描いてみたいと思っている。どう? なかなかにいいセンスだと思うのだけど、馬鹿?
 浜口陽三という人の版画にはこの類のセンスがたまに見られるけれど、わたしは大好きである。真似しているといわれてもかまわない。しかしなかなかいいアイデアは浮かんでこない。
「イチゴってタイトルで5個のイチゴのかたまりと、1個だけポツンと離れているイチゴを意味ありげに描くなんてのはどうかな」わたしは暇ついでに妻に聞いてみたりする。
「悪くないけど普通ねえ」
「イチジクも描きたいんだけど何かいいアイデアない?」
「本物のイチジクを10個ぐらい置いて、目立たないところにイチジク浣腸が混じってるのってどう?」
 わたしは耳を疑った。わたしはある程度妻のセンスを認めていたのだ。だからこそ相談していたのに“イチジク浣腸”だあ? 
「おまえみたいな奴が庭木にギンギラギンに全部電飾を架けて、隣近所と無駄な競争をするんだよ。そういうのを“悪趣味”って言うんだよ……」と腹の中で思ったが口にはしなかった。50歳を越えてからの離婚は辛そうだ。

 小さなモミの木に、キラキラ星やミニチュアの長靴をぶら下げ、ささやかな豆電球の連なりを巻き付けたクリスマスツリーは実に良かったなあ、と思うのだ。そして今流行のこれみよがしの「自宅全体電飾戦争」は悪趣味以外のなにものでもない。




            





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