05年11月15日(火)「 雨の日と月曜日は 」
腰痛がらみで気分の晴れない毎日が続いているけれど、こんなことでは「異常に元気なオヤジ」の名が廃(すた)る、というものだ。
すっかり今日だと思い込んでいたMRI検査が、実は明日だということがわかり心にポッカリ穴が空いてしまった。こういう日は行動あるのみ。
カブでご近所を流す。有るわけないよなあ……と思いながら先日盗まれたDT50を探し、ついでに木々花々を見る。渋柿が熟れて柔らかくなり歩道上にボタと音を立てて落ちた。ヨロヨロと杖をついて歩いて来た老婆がその「柿の実爆弾」をヒョイとかわす。見事だ、忍びの者かも知れない。
時速25Kmのお散歩は実に楽しい。今日はほとんど腰の痛みが無い。「病は気から、柿爆弾は木から」である。
絵を描こう! と突然思った。日頃妻やその友人、娘の絵を批評するばかりでちっともわたし自身は絵を描かないものだから、立場的に最近ヤバくなりつつあるのだ。
「昔の版画は見たことあるけど、ほんとに今でも絵が描けるの? おとうさん」てな感じある。ウーム、ここいらで一発、わたしがやはり天才であることを示しておかなければならない。
水彩絵の具を使うことにした。乾きが速くて作業が楽だ。「結実シリーズ」と名付けて、木の実・くだもの・種子などを描くことにした。版画とテーマはだいたい同じだ。ただしモノクロに近い版画とは差別化するために、今度のシリーズは思い切りカラフルにしたい。暗いトーンの中にもキラキラと輝く色味を使いたいものだ。陽と陰の間に1000の変化(へんげ)を見つけたい。光りの彩は人生の綾に通ずる、モネとゴッホを合わせた感じ、そう「モッホ」で行こう。
いつも通り「能書き」及び「妄想」が先行してしまっていたが、今日は珍しく30歳代のような集中力があって一挙に3枚描き上げた。淡彩スケッチ風のさわやかな水彩画は性に合わないようで、結局実にわたしらしいヒネた絵になってしまった。上の写真がそれである。単なる自慢でもある。
椅子に同じ格好で長時間座っていたせいか、夜になってジクジクと腰及び右太股が再び痛み始める。耐えがたい波が来る。
「ほ〜ら、調子にのってバイクなんかに乗るからよ、馬っ鹿みたい」
妻はわたしがあまりにもいい絵を描いたので妬んでいるに違いなかった。ウッシッシである。バイクのせいなどであるものか。
今後どんなモチーフを描くか考え、リスト表などをキッチシ作ることで痛みをやり過ごす。考えてゆく内に妙な洒落っ気が湧いてきた。
「“君たちキウイ・パパイヤ・マンゴー”なんてどうだ?」
「“君たち”っていうのは要らないんじゃない? ……違うでしょう、そういう風に世の中をナメているから天罰が下るのよ」
「そうか! 天罰だったのか!」わたしは過去の所行を思い浮かべ納得しそうになった。いけない、いけない。
カーペンターズの「雨の日と月曜日は」が聞こえてきた。隣接するアパートの1階の爺さんはいつもラジオをつけっぱなしである。
雨の日と月曜日は憂鬱だわ、人生さえ見失いそうだわ、でも私を愛してくれる誰かを探すのは悪いことではないはず……希望を持って生きて行きましょう、てな内容だっただろうか。わたしはしばらくの間やさしいメロディーに耳を傾け、どんどん自分の状況に当てはめて曲解して行った。
「憂鬱な時こそダジャレでも考えて明るく楽しく時を過ごさなきゃいかん、という意味だなこの歌は、わかったぞい、バイクも少しなら乗っていいですよってことだ、酒もな、いい歌だなあ」
「…………、“お馬鹿の悟り”って感じねえ、明日は頭の検査もやれば?」
妻は白目でわたしをにらんだ。
心配してくれているのはわかる。しかし“君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね”というタイトルの絵も絶対描きたいのだ。雨の日と月曜日は思い切り悪乗りしなけりゃ乗りきれない。
m