2025年11月18日(火)「36年振り」
高校時代に仲良しの丸田君という友人がいて、大学進学で上京後もずっと付き合いがあって、そのうち丸田弟も加わって「なんてこった!」というぐらい楽しかった。埼玉県蕨市という所に遂には集まってしまって、夜な夜なローラースケート履いて西川口の青木公園まで走ったり、近所迷惑もかえりみず深夜まで部屋で卓球したりした。
それぞれ彼女が出来て、結婚して子供が生まれても付き合いは続き、ほぼ毎週寄り集まって酒を飲んだり飯を食ったり、時には遠足に行ったり「なんてこった!」というぐらい遊んだ。若いから裕福ではなかったが、酒も食べ物もそこそこに有ったのでギター弾いたり歌ったりしてご近所様からは大いに迷惑がられた…かもしれない。
それぞれの人生に「頑張らなきゃいけない時期」がやってきて、少しずつ少しずつ集まる機会が減り、弟は居を鹿児島に移し、皆住む場所も変わってしまった。最後に全員集まれたのは1989年だったと思う。携帯電話がまだ無い時代だったから引越してしまうと家電(いえでん)ではどうにもならない。
「あんなに仲良しだったのだから、なんとか連絡先を探したら? 喧嘩別れとかしたの?」妻はいつもあきれていたが、思い当たることは何も無かった。ただ「みんなそれぞれ頑張っているんだろうな」とは思っていた。「頑張らなきゃいけない時期」の連続、それこそが人生というものなのだ、などと恰好をつけながら。
10月初旬に弟さんからメールがきて「おうおうおう!」となった。11月に上京するから家まで遊びに行きますという。36年振りである。弟ももう69歳、会える時に会っておきましょう、といった年齢だ。1週間、レンタカーで繋がりのあった方々に挨拶をして回るそうだ。すごい人だなあと純粋に感動する。親戚付き合いさえ絶えてしまったわたしは大いに反省している。
当たり前だが丸田弟はお爺さんになっていた。だがジャグリングを披露するなど相変わらず可笑しい。姿かたちは変わっても本質は何も変わっていないなあと思った。いつも言っているが「いい人」が好きだ。自分の人生を考える時「わたしはいい人だっただろうか」というのを一つのモノサシにしている。悪い人だったことも何度かあったような気がするがもう手遅れなことばかりだ。
丸田兄に“ともだちリクエスト”をメールで送った。 |