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キツネもバニーガールが好きです

兎じゃなくて狐だな

滑り止めの塩カルを撒く

植物もビックリ

夕方まで降っていた

ちょっとした雪景色
2016年11月24日(木)「11月の初雪」

 首都圏の11月中の初雪というのは54年ぶりだそうだ。ましてや積雪となると、観測史上初めてのことらしい。いやはや“ひったまげた〜”(鹿児島弁で非常にたまげた、驚いた…の意味)。

 54年前といえば1962年、東京オリンピックの2年前だ。わたしは小学3年生だった。
 その年の冬はとても寒く、南国鹿児島にも大雪が降り30Cm以上も積もった。嬉しさのあまり“かまくら”作りに挑戦した記憶がある。
「古いことをよく覚えているのは確かだけど、ホントに同じ年?」と妻は疑うが、証拠写真があるのだ。次の年に転校したので、この写真が小学3年生の時のものであることに間違いはない。
 ただ……なんでこの帽子なのかは記憶にない。学芸会の遺物だろうか。わたしは兎だったんだなあ。“バニーガール好き”が納得できるなあ。
 場所は瀬々串(せせくし)という名の小村。

「2年後のオリンピックに備えて、東京ではついに乞食(コジキ)狩りが始まったらしいなあ」
 大人たちの噂話を耳にして「何も殺さんでもよかろうに」と勘違いした記憶がある。
 外国からのお客に見せたくないから、とりあえず乞食たちを郊外に追っ払ってしまえ……という場当たり的な政策だったに違いない。
 “臭いものには蓋”作戦は遠く離れた鹿児島でもあったようで、その頃を境に“防空壕生活者”がすっかり消えてしまった……ような気がする。これもまたオリンピック絡みだったのだと思う。鹿児島は温泉が多いから、外国人観光客も結構多いのだ。彼らに見られたくない「貧しい風景」だったのだろう。当時、平均所得が日本一低い県だった。

 鹿児島の防空壕というのはシラス(火山灰が積もったもの)の崖に掘られた横穴式のもので、旧西鹿児島駅から南鹿児島駅の間の線路際に数多く見られた。入口を戸板で塞いだだけの質素な佇まいだったが、七輪や1斗缶焚き火での調理姿がわたしにとってはちょっと魅力的だった。当時は、食うや食わずの人々がまだ結構居たが、味噌や醤油を貸し借りしたり裾分をしたりとお隣さんとの付き合いがなかなかに暖かかった。今思えば、あれはあれでステキな風景だったのだ。

 初雪を眺めながら「東京オリンピックさえ無かったら、俺の人生もこんなには狂っていなかった筈、チクショウめ」とオリンピックを恨んでいる人がいるだろうか? とボンヤリ考えた。考えても仕方のないことを考えるのが好きなのだ。
 ボタン雪に変わったところで「雪だよ!」と小娘友達に写メを送ると、雪ダルマ君がヤシの木の下で太陽の光を浴びながら肌を焼いている様のスタンプが返ってきた。
「バカねえ、雪なんかすぐに融けてしまうわよ、そんなものに感傷的になってるからダメなのよ、老化は気からよ、稼いで稼いで私をハワイに連れてって、ウフフ」と、そういう意味なのだろうか? と考えた。

 頭が変なのは別に今に始まったことではない。