「妙説 100人の村 」
10数年前に「100人の村」というのが話題になったのを覚えておられるだろうか。「世界を100人の村に例えると、80人は標準以下の居住環境に住み、70人は文字が読めません。50人が栄養失調に苦しみ1人が瀕死の状態にあり……、30人は……、35人は……」というあれである。
人それぞれに色々な感じ方をしただろうが、まあわたしは実に一般的な感じ方をした。“ああ自分はくよくよと小さなことで日々悩んでいるけれど世の中には自分とは比較にならないほど不遇な人々が多いのだなあ、まだまだ自分などは恵まれている方なのだなあ、つまらない事で落ち込んだりせず元気よく生きて少しでも社会に貢献していかねばいけないのだなあ”とピュアに感動したものだ。
1人暮らしの娘を持つ親としては、新聞にしてもテレビにしてもニュースを見るのが最近辛い。毎日どこかで誰かが殺されている。普通(?)の殺人事件などはもう報道されないぐらいだ。幼児の猟奇的殺害も後をたたない。女子高校生は遊ぶ金欲しさに援助交際に走り、もつれた果てに殺されて山に捨てられる。“出会い系サイト”はすでに売春斡旋に変わりはて、自殺希望者はいっしょに死んでくれる人間をサイトで募り、10000円で仕事を請けおう殺し屋集団まで現れた。普通の生活を普通にしている人々がある日突然勘違いで殺されたりするのだ。
他人に迷惑をかけない・泥棒と人殺しだけはしない・自分とおてんとう様にだけは恥じない生き方をしたい、そう思って日々暮らしてきた一般ピープルはは「とんでもない時代になった・何かが狂っている・世も末だ・神も仏も無い……」と心底ため息をついて嘆いている。
本当にそうなのだろうか? テレビの過激な視聴率戦争に翻弄されているだけではないのだろうか? 警告としておおげさに報道されているのではないのか? 危機感は十分感じている。が、本当に日本全体でもうそこまでひどい社会状況になっているのだろうか。
「100人の村」をもう1度思い浮かべる。日本を100人の村に例えると、殺人者は0.1人で汚職政治家が0・2人、泥棒が0.3人で、援助交際をしている女子高生が0.02人、……が0.01人、……が0.02人、あとはまあみんなまじめに仕事をし人生をまじめに考えながら家族を大事にして生きている人たちですよ〜。正直が1番大切なこと、美しいことですよ〜。
ただあんのんと暮らしていたいと考えている訳ではないが、誰かキッチリとデータをとってそんな「妙説 100人の村」というのを作ってくれないものだろうか。
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