わ、忘れた


横に渡した板の上で、ラーメンを食べたり酒飲んだり
するんだなあ、このオヤジは。

 カヌーを買った。オープンデッキタイプのファルトボート、型落ちで安かったのだ。
 野田知祐さんの「北極海へ」を読んだ直後で、もう漕ぎたくて漕ぎたくて仕方がない。
 早速、荒川を10km漕いで遡り、釣りをした後のんびり帰ってくる計画を立て、即実行に移した。ぼくはその日平日代休、人っ子一人居ないフィールドで最高の1日をすごす……はずだった。
 往きは追い風で超ゴキゲン、釣りの方も丸々と太ったオイカワがそこそこに釣れた。
 ところが帰る段になって、川には猛烈な風が吹き始めた。恐ろしいほどの逆風で白波が立ち、1時間漕いで1kmも進めない。おまけに途中で上陸に失敗し転覆、ずぶぬれで凍えた。体力も次第に落ち、なんとかチョコレートをかじりながら必死で漕ぎつづけていたのだった。
 と、その時、携帯電話に会社から着信があった。不幸の始まりはここからだった。
「い、今さあ、死にそうなんだよ!」ぼくは携帯を投げ捨てた。そう、スイッチを切り忘れたまま放り投げたのだ。そしてそこから先は、すべて実況中継状態になってしまった。
 どうやらぼくは極限状態でやたらとしゃべるタイプの人間だったらしい。
「腹減ったまま死んでたまるか〜、肉食いて〜!」とか「チョコレートは明治(メロディー付き)」とか「○○さん〜(妻子持ちですが女子社員の名前)助けてくれよ〜!」とか「俺が今死んだら会社も潰れる、頑張るんだ〜!」とか訳の判らないことを叫び続けていたのだった。会社では上司も含め、みんなでそれを回し聞きしていたらしい。
 なんとか生還して出社した翌日、社内は笑いでボイルしていた。そしてぼくは、社長室へ招かれたのだった。
「君の稀な根性と腕力は昨日わかった。今後は是非会社のためにも役立ててくれ。しかしだねえ〜、女子社員の名前を叫んだ事についてだけはだね〜、ひとつ始末書をだね……」
 嗚呼、ケイタイ切るべし。