5月16日(火)  梅採り
 ちょっと油断した隙に、大きなゴミ袋3つ分の紙ゴミを溜めてしまった。ゴミとは言っ
ても住所の入ったDMや書き物の残骸なのでおいそれとゴミの日に出すわけにはいかない
のである。
 で、近所のキャンプ場で焚火気分で燃やすことにした。きちんと紙だけに選別してある
ので有害物質もでないだろうし、だから管理人にみつかってもまあ言い訳もできるだろう
と思ったわけだ。
 で、着いてみるとさすがに平日のためか誰もおらず、結局管理人もいなかったので心お
きなく焚火気分を味わった。紙といえども元は木なのでその火力はたいしたもの。
「アルミホイールと芋を持ってくればよかったなあ」と思ったが後の祭り、黙々と燃やし
続けた。
 ふと振り返ると妻が木に登っている。「食物採集異常興奮症」の妻がこともあろうに梅
の実を発見してしまったようだ。
 毎年見事な花を咲かせることは知っていたし、実は成らないのかとそれなりに注意もし
ていたのだ。しかし毎年実を見ることはなく「そうかあ、これは花梅で実を付けない種類
なんだろうなあ」と思っていたのである。ところが今年はいきなり鈴なりである。
 妻のために長い竹を切り出して先を二股に細工してやると、採るわ採るわ、アッという
間にビニール袋2つ分をゲットした。
「公共の公園にあるものですから、泥棒ではありません」言い切る妻は立派である。
 子供の頃を思い出す。暑い夏の日、今年漬けた梅を近所の婆さんたちはいっせいに干す
のだった。それらは日光をあびて甘酸っぱい匂いを放ち、やがて薄く塩を吹いて一丁前の
梅干になってゆく。ぼくは婆さんたちの目を盗んでは生暖かい出来立ての梅干を、ひとつ
ふたつと頬張った。婆さんたちは笑いながら「あたしの作った梅干が村で一番」と言うの
だった。どの家の婆さんもみな、自分のが一番だと言うのだった。
 子供の頃食べたものの「味」が、ぼくにとってはある意味「絶対」である。普通に「薩
摩の黒豚」で育った訳だし(当時、鹿児島に白い豚はいなかった。小学生に豚の絵を描か
せると皆黒く塗ったもんね)、それしか無かったのかも知れないが無農薬野菜、小魚が当
たり前だったのだ。梅干に関しても然り、紀州の梅干だか何だか知らないけれど、第一梅
干のくせに干した形跡が無いじゃないか。それにもともと保存食のくせに、減塩減塩でさ
「要冷蔵」とは何たる軟弱さ! 近頃のやつは梅干じゃなくて梅漬けじゃ! 喝っ!
 歳をとると何の気兼ねなく愚痴れるので楽しいなあ。
 ふと振り向くと妻はまた木に登ろうとしている。
「もう、やめとけっつ〜の!」
フィールドノート2004
梅酒と梅シロップを作るのだ。
梅酒は毎年出来上がる前に味見で無くなってしまうしまうのだけど……。