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我家では生前も“神様”と呼んでいた。
2015年08月18日(火)「チョコ、逝く」

 2005年9月23日のフィールドノート「クロマメ」以来、丁度10年の付き合いになるチョコが逝った。いつの間にか名前がクロマメからチョコに変わってしまったのはいまだに気にくわないが、10年の間に娘の交通事故などもあって、結局わが家で皆一緒に暮らすようになった。
 埼玉から千葉への移転、計4匹の猫との共同生活、犬2匹の参入(?)、アレルギー性の鼻炎、腎不全、癌……それらの試練にも似た数奇な運命を考えるとなんだか感無量である。

 猫の平均寿命は大体15年だそうだ。それに比べればチョコの生涯は確かに短い。妻と娘はその事をしきりに悲しむが、拾われた日に既に瀕死の状態であったことや片眼にハンディがあったことを考えてみると、彼は少なくとも我家に連れて来られたから“生きられた”わけで、この10年十分に幸せだったのではないかとわたしは思うのだ。

 人生(猫だけど)は長さではない。与えられた命や運命をまっとうすることだ。まっとうするというのは逃げずにやり遂げるということだ。そうして初めて、やっとこの世から解放されて次の世界に旅立てるのだとわたしは思う。
 わたしは彼の眠る姿に「おつかれさま」と言い、その後は黙りこくって一人“祝い酒”を飲んだ。

 
「チョコが死んだって言うのに、こんな日も酒を飲むのか?」
 女どもはそう言いたげに冷たい目でわたしを見ていた。まあ仕方がない。