「 停電の中で 」

  いろんな人の前座をやった。そもそもわたしが初めて人前で歌ったというのが南こうせつの全国ツアーの前座なのだ。今ではフロントアクトとか呼ばれていて、本チャン前をより盛り上げる役目で大いに認められている。
  その時(こうせつの前座時)はまったく予告なしにいきなり出さされたので、おまけにお客さんはこうせつが最初から出てくるものだと思っているので、わたしが幕開きと同時に歌い始めると「なんだ、あのおっさんは!」とあからさまに指差して言ったものだった。しかもその客の数2000人以上である。なんとなく、わたしのその後のトラウマになった気がしないでもない。確か大阪グランドホテルの大ホールだったような……。
 
 さて、よ〜く覚えている前座のひとつに、山下達郎さんの前座がある。これは確か学園祭だった。今となってはどこの学園祭だったかというのはもうまったく思い出せないけど、鮮明な記憶が残っている理由は他にあるのだ。
  前座であるわたしが歌い始めて5分で停電になったのである。わたしはその時生ギター2本(含自分)の編成だったので、まあそんなに広くない大学の講堂だから、なんとかそのまま生の音で歌い通したのだ。
 ところが持ち時間の30分もそろそろ終わろうとしている時、ステージ袖の達郎さんのスタッフから指令がきた。もとい、指令じゃなくてお願いだ。
「 停電が復旧するのにまだ時間がかかりそうだから、引き延ばして欲しい 」というのである。
「 んなこと言ったって!」 正直そう思いましたね。こっちだってちゃんとしたPAになってから歌いたいのを無理してやっていたのだ。中断して通電してから達郎さんが始めればいいじゃないか、と思ったのだけどマネージャーは「 チャンス!」とか言って笑っている。チャンスも糞もあるかい、人前で歌うのも苦痛なのに、停電だ。
  しかし開き直るしかなかった。わたしはまた1曲目から同じ曲をやり始めましたね。人がどんどん減っていきましたよ。もう前座以下のBGMだ。そしてなんと、すべての曲を2回ずつやったところで復旧、通電し山下達郎コンサートは無事始まったのだった。
  達郎さんの曲はほとんど知っていたし、尊敬もしていたけれど、わたしはその日だけは達郎さんの歌よりも、その深〜いエコーたっぷりの素晴らしい電気音の方についつい耳を傾けたのだった。
「 小林はこれで電気の無いところでも歌える証明になったな 」
  マネージャーは満足そうにそう言った。勘弁してくれよまったく、と思ったがまんざらでもなかった。喉元過ぎればの単細胞男なのである。何人かの学生さん達は同情してくれたのだろう、最後まで聴いててくれたのだった。
 
 しかし案の定、そのマネージャーが次に取ってきた仕事は“海水浴場コンサート”というものだったのだ。そしてわたしは生まれて初めて「 ハンディ拡声器 」というもので人前で歌ったのだった。浴場だけに欲情して「そこのビキニのお嬢さん、乗ってるかい!」なんちゃったりして、もうやりたい放題だった。
 写真を撮っておけばなあ、末代まで笑えたのになあ。