「 スージー・クアトロと大阪の夜 」

  この話はちょっと怪しいところが多い。断片的なひとつひとつの話はぜんぶほうとうなのだけど、それらがほんとに同じ日のことだったかどうかははなはだ怪しいのである。 
 
 フォーライフレコードが設立されてすぐの頃、デビューした新人たちで全国ツアーをしよう、ということになった。話題性はあったにしてもまだまだ売れていない新人たちのために、宣伝になるとはいえ随分な大判振るまいである。 
  20箇所ほどの会場を押さえ、出演者、バックミュージシャンなどのギャラも考慮すると、初めからとうてい黒字など見込めない企画であった。まあその辺もわかっていたはずではあったけどね。
  川村ゆうこ、大野真澄、野沢享司、小出正則、わたしなどが居た。大野真澄さんのバックにはまだ食えない頃のアルフィーなどもいて、楽屋はいつもイーグルスなどの曲で賑わい、それはそれは楽しくもあり、ばかばかしくもあり、実に明るいツアーだったのである。
  だいたい500人から800人収容の会場を押さえてあったのだけど、いつも入っているのは30人ぐらいでさみしい限りなのだけど、それはそれで対面コンサートと考えれば和気あいあいとアットホームで雰囲気はいいのだった。  
  大阪ではグランドホテルの中ホールだった。やっぱり入場者数は30人ぐらい、客は少ないけれどそれなりにいいコンサートをやっていたのだ。ところが開演中に天井が、上の方がうるさいのである。上の大ホールの音が響いてくるのだ。ロックコンサートのようだった。
  全員が不機嫌になり、神経質になっていった。わかってはいたのだが腹だたしかった。大ホールで演奏していたのは原田真二だったのである。こともあろうに同日の同時間の、上下があるといっても同じ会場をブッキングするとはどういう神経をしてるんだ! ということなのだ。
  結局その日はコンサートが終わっても全員がムッとしたまま、個々に四散していった。いつもなら全員そろってセミ打ち上げみたいになる所なのだがそんな雰囲気ではなかったのだ。
  わたしも部屋へ戻って今日はもう早く寝よう、とギターを抱えてエレベーターに乗り込んだ。2フロア分ぐらい降りたところで黒の皮つなぎを着た小柄な女が乗り込んできた。1対1だ。それは明らかにスージー・クアトロ本人だった。
  楽器を持ったわたしを見てスージーは「あ、今日、大ホールでコンサートをやってた日本人のミュージシャンだわ」と思ったかどうかは解らないけれど、軽く笑いかけてきた。かわいかった。
 しかし次の瞬間、わたしは自分でも信じられない言動に出てしまった。
 スージーの手を取り、そして言った。
「マイネーム イズ シンジ ハラダ イエ〜イ!」節操も何にも無い男だ。