「 SONYより進んでいたんだぜ、俺たちは 」

  長いツアーに出ると、どうしても音楽に飢えてくるのだ。自分たちが音楽をやってるくせに何をいまさら、と思われるかもしれないけれど、いわゆる好きな洋楽などをゆっくりと落ち着いて聴きたくなるのだ。25年前と言うと今のような便利で小さい機械がまだ無かったのでみんな結構真剣に悩んでいた。
 
 ある日、新幹線の中でマネージャーが嬉しそうに言った。
「 小林、これを聴いてみろ 」
  彼はわたしに小さなテープレコーダーとヘッドホーンを渡した。わたしはヘッドホーンを耳に当てた。そしてあまりの驚きについ大声で叫んだ。
「 万ちゃん(マネージャー)、これ、ステレオじゃん! 」
  そうなのだ、それまでみんなツアー中は好きな音楽を聴くために大きなラジカセを持ち歩き、重いのが嫌な人は我慢してモノーラルのテープレコーダーで聴くしかなかったのだった。
  詳しく聞いてみると、“レオ・ミュージック”というPA屋さんに手先の非常に器用な人がいて、作ってもらったのだという。15000円ぐらいしたという。今の人たちからすると嘘のように聞こえるかもしれないけれど、当時ステレオで聴ける小さなテープレコーダーなんてメーカー製では無かったのだ。
「 欲しい、欲しい、欲しい 」マネージャーのそれを盗んでしまいたいぐらいに欲しかった。しかし貧乏なデビューしたてのわたしには金もなく、たまに聴かせてもらうぐらいしか手がなかった。
 当時はどんなものを聴いていたのだったか、もうはっきりとは思い出せないのだけど、ジャクソン・ブラウンやジム・クローチやジェームス・テイラーだったかもしれない。
 
 そしてある日、一大決心をした。「 よ〜し、自分で作ったろうやんけ! 」
 わたしはあきらめないのだ。当時から自宅多重録音などを通じて、かなり電気系には自身があったのだ。秋葉原のラジオデパートに行き、ジャンキーな小型テープレコーダーを安く手に入れた。それに組み込める大きさのプリアンプ基盤がなかなか見つからなかったが、なんとか調達。カセットテープ用ステレオヘッド、ステレオミニジャック等も含め、だいたい3500円ぐらいですべてのパーツを買いそろえることができたのだった。
 今でもそうだけれど、夢中になるとわたしは2、3日眠らないでも平気である。(ちなみに今までの最高記録は76時間だ)で、一晩でコンパクト・ステレオ・カセット・プレーヤーを組み上げた。プリアンプが安物のせいかちょっとノイズが乗っていたけれど、もともとテープにはヒスノイズというものがあるのでそれほど気にならない。立派にステレオっている。万ちゃんのやつよりちょっとだけ大ぶりだが大満足のものができあがった。
  どこに行くにも持って歩いた。得意になって人に聴かせたりした。バックバンドのピアノの娘に2号機を作ってプレゼントしたりした。メカ用電源スイッチとアンプのスイッチが別々だったりもしたけれど、それはそれで十分に旅の途中にステレオで音楽を聴ける道具だったのだ。わたしはレオ・ミュージックの人が作ったものを真似ただけだったけれど、自分が発明したような気分になって「 特許ものだぜ!」とほくそえんだ。

 それから約1年後、マネージャーの万ちゃんは再び新幹線の中で“ハンティングワールド”のバッグから1台のテープレコーダーを取り出した。なにやら青いアルミボディからオレンジのボタンが突き出た不思議な形をしたものだった。
 それが「SONY WALKMAN」だった。わたしは「ふ〜ん、歩く男かい! 変な名前!」と思った。