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潮時は始めるキッカケだよ

今年の6/27のこと

アザラシを見たこともある

死体は柱の辺りにあった?
2016年12月13日(火)「潮時」

   “宝くじ買い”で有楽町へ行く。たまには100枚ぐらい買ってみようかと思うが、当たる時は1枚でも当たるのだろうから……と強がって今回も連番10枚のみ。前後賞も欲しいので連番は外せない。

 浜松町で時間をつぶして天王洲アイルへ移動。恒例(宝くじ買いの日の)になってしまった、豚味噌の会の玲奈ちゃんとのランチは13時30分、今日は寿司を食うことになっている。それまでにはまだ時間があったのでちょっと寒いが運河際を歩いてみることにした。13年以上勤務していた一画なので、懐かしさが込み上げてきた。

 あ? そうだ! ここは今年の6月に死体入りのスーツケースが浮いていた場所だ。場所を知っているだけに、当時異常に興味を抱いてしまった記憶があるが、その後の結末というか真相というか、どんな事情があっての殺人事件だったのかまったく記憶に残っていない。
  ボードウォークのベンチに腰掛けて事件の概要や犯人などを検索。なんだかノンフィクション作家になった気分だ。そして、中国人同士の夫婦の、夫が妻を殺した事件であることを知る。動機などは何処にも書いてない。結局は分らなかったのだろうか? 

 前に「考えても仕方のないことを考えるのが好きだ」と書いたが、またしてもしょうもない事を考えて時間を潰す。一度は愛し合った者同士が、どういう事情があれば殺してくの字に折り曲げて、スーツケースに詰めて運河に流してしまうという非情な結末に至るのか知りたくなる。
   バーナード・ショウの有名なジョークに「若い頃は君を食べてしまいたいぐらい愛していたなあ。今思えば、あの時食べておけば良かったなあ」というのがあるが、所詮はジョークだ。現実はもっとドロドロした愛憎や愛欲があるのだろうなあ。金銭的なことも大いに関係あるだろう。
 夫婦の関係にも“潮時”というものがあるのだろうか? 潮時? あれ? なんか変だ? 違和感がある。そんな使い方でいいんだっけ?
 
 ヤフーで調べてみると「潮時という言葉は、“何かを終わらせる時期”のような使われ方をすることが多いがそれは間違いで、本来は“何かを始める時期(時)”の意味”である」とあるではないか。そういえば確か「トライ」のCMでも「ここもそろそろ潮時じゃなあ」と爺さんが言っていた。
 中国人夫婦は、新たにやり直す潮時が見つけられなかったのだろうなあ。それどころか、トランクを流すその瞬間「潮時だ!」と思ったのだろうか? ブラックだなあ。
 夫婦関係、人間関係、男女関係、友人関係、仕事関係、それぞれの関係の節目には、新たな“潮時”というものが必要なのかもしれない。そうでないと限界が来るのだろうなあ。
 何を言ってるのか自分でも分らなくなってきた。ダメダね。考えてもしょうがないことを考えてもしょうがないのだった。


「お寿司ぃ、お寿司ぃ、お寿司ぃ、お寿司ぃ……」
 小娘はいつでも走ってやって来る。“食べるために生きている”のだそうだ! いい、実にいい。