「 佐野元春の握手 」

「 あなたって人は、少し黙っているということはできないの?」と、妻に言われるほど最近のわたしは“しゃべりたい病”になってしまったが、実は、ほんとうは、本質的には、DNAからみても“無口”なのである。
  映画の西部劇で、主人公の投げるナイフはどうしていつもブスリと敵にささるのか? 柄の方がインディアンの胸に当たってポロリと落ちて、逆にやられてしまうなんてことが絶対あるはずだ……と考えては1日中山にこもって木に向かって肥後の守を投げて研究をするような子供時代だったのだぞい、妻よ!
 
 まあ、そういう訳でわたしはほんとうは無口なのだ。であるからして、デビューしたての頃はライブでの曲間のしゃべりが嫌で嫌でしかたがなかった。できることなら歌だけ歌って去りたかった。小椋桂さんが理想だった。
  いつからこんなにペラペラ男になったのかは未だにはっきりはしないのだけど、なんとなくだがオールナイトニッポンのDJをやった頃が、その分岐点のような気がするのだ。とはいっても分岐点に過ぎないのであって、当時もちょっと無理していた。おやじが録音したオールナイトニッポンの同録テープがいまだに有って、それを聞くと「なに言ってんだ、この馬鹿!」と思う。
  それに比べてまあまあ落ち着いてしゃべってるなあ、と感じるのはFM局でのDJだ。やらせる方は勇気があるなあ、と思うがFM愛知とFM福岡と栃木の方でも1本やっていた。いずれも隔週録りでゲストを迎える形式の番組だったので、この時期はとにかく多くのミュージシャンと会えてとにかく嬉しかった。超ミーハーでもあるんだよ。
  忌野清志郎さんは「いくら仕事だからといって、初めて会った人とベラベーラしゃべれる奴って信用できないですよ」とわたしの失敗インタビューをかばってくれるような“いい人”だった。わたしの対人価値判断基準に「いい人」というのがあって、もちろん才能もあって頭もよくて「いい人」というのが一番いいんだろうけど、才能や頭脳が無くたって「いい人」ならいいじゃない、という気持ちが非常に強い。自分もそれがいい、と思っていたりする。
 才能があって頭がよくても、いい人じゃない人をたくさんこの業界で見たせいか、「いい人」ってのがいかに大事なことか知ってはいるのだ。ま、とにかく清志郎さんはいい人。
  もうひとり印象深いのが佐野元春さんだ。いろいろと語るうちにいい人だとすぐにわかってしまった。いや〜、いい人はいい。ただ佐野さんはすぐに、駆け寄るような勢いで人に近づいて来て「やあ!しばらく、小林君」とか大きくはっきり言って握手を強要するのでちょっと恥ずかしい。名古屋のFNラジオの収録でお世話になって、その後東京のどこかのFM局で偶然会ったときもそれをやられて、ちょっと照れた。
 
 今でもそうなのだろうか、そうだといいなあ。分りやすくて笑えるのになあ。