山梨で能舞台を作っていた頃 (1990年頃だ)
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三角毛布の行方
「 三角毛布の行方 」

「うちの子もキティちゃんのタオルをいっつもくわえて寝てるわよう、気にしない、気にしない」
「うちなんて、コアラの縫いぐるみの鼻をかじってなきゃ駄目なのよう〜、もうじき鼻がもげて無くなりそうなんだから〜」
 我家と同じ年頃の子供を持つおかあさん達から話を聞いて、わたしは“そうかそうか、そういうのはよくある事なんだな、俺の娘だけじゃないんだな……”と、とりあえずほんの少しだけ慰められたのでした。
「そのうちやらなくなるよ、まったくパパは心配性なんだから!」
 妻はのんきに笑っていましたが、わたしは娘とその“毛布”の関係を考えると、やっぱり少し常識の範囲を越えているような気がしてなりませんでした。
 そしてその原因は、父親であるわたしの甘やかしのせいではないのかと、なんとなく責任を感じていたのです。
 娘がくわえて寝るのは「三角形の毛布」でした。もちろん初めから三角形だったわけではありません。
 まだベビーベッドに寝ていた頃から使っていたうす緑色のごく普通のものでしたが、いつからそうなったのか、娘はその毛布の角をチューチューと音を立てて吸うようになっていました。
 電車の中でも、車での移動中でも、とにかくそれさえあれば娘はおとなしかったのです。娘にとっても、親たちにとっても、その毛布は無くてはならない、そして便利なものだったのです。
 娘が3歳のある夏のことでした。少々長めの旅行に出発するその日の朝、どうしても毛布を持っていきたいとダダをこねる娘の目の前で、わたしは少しカッとなってその「お気に入りの角」を鋏でチョッキンと切り取りました。
 今思えば、その時強引に捨ててしまっていれば、その後の展開はずいぶん変わっていたのでしょうが、わたしはこともあろうことか甘い微笑を浮かべながら、その毛布の切れ端を娘に渡してしまったのでした。
「三角毛布」の誕生です。
「毛布ちゃん、毛布ちゃん、いっしょ、いっしょ〜」娘は嬉々として歌いだしました。
 小さくなって持ち運びがしやすくなった分、2人(?)の関係は激しくエスカレートしていきました。
 変色し、異臭を放ち、飼い猫すらまたいでいくほどの状態になっても、娘はそれを片時も離そうとはしませんでした。
 衛生上もよくなかろうと思い、漂白、アイロンがけ、当て布を繰り返すうちに、さらに3年ほども経った頃にはコチンコチンの魚の干物のようになっていました。どう眺めても毛布とは名ばかりで、それは得体のしれない代物になってしまっていたのです。
 水玉模様の可愛いパジャマを着た娘が、口にボロ雑巾をくわえて眠る姿……、さすがに妻もわたしも不安になっていました。毛布との三角関係……などと駄洒落を言ってる場合じゃなくなってきたのです。
 親の愛情に飢えているんだとか、授乳期に砂糖をいっぱい入れた苺ミルクを飲ませていたわたしのせいだとか、一人っ子のせいだ、と妻は途方に暮れて泣き出すこともあったのでした。
 いつか必ず自覚の日が来て、娘が自分の手でそれを捨てることになる、わたしはそう信じてはいたのです。しかし小学生になった娘が、こっそりとランドセルに三角毛布を忍ばせるのを見てしまった瞬間、わたしの期待は音を立てて崩れ落ちました。
 強く諭して取り上げたこともありましたが、その度に結局わたしが甘くて上手くゆかず、いたずらに時だけが過ぎて行ったのです。
 ところが……です。三角毛布は娘が9歳の時、突然なくなりました。九州に帰省した折、Uターンのどさくさに紛れてしまったのです。
 娘は1週間パニックに陥りました。寝付けず、眠れず、苛立ち、泣きわめく、そんな日々が続きました。
 わたしは見かねて、代わりに何か別のものを与えようかと考えたほどでした。しかし娘はついに自力で耐え切ったのです。
 どうやら、その頃すでに本人も、三角毛布を「恥ずかしいこと」と感じてもいたようなのです。クラスの友達に見つかって何か言われたらしく「やめなきゃ、もうやめなきゃ」と独り言のようにわたしに言っていたのです。
 結果往来ではありましたが、娘は毛布なしでなんとか眠れるようになったのでした。
 数年後、「三角毛布」は意外なところで発見されました。前の年に亡くなった父の遺品を整理していた母から連絡があったのです。
 それは父が大切にしていた書道箱の硯の下にありました。
 無口で穏やかな父でしたが、可愛い孫、不甲斐ない息子夫婦のためを思って、あの帰省の折に自らの手でそっと「三角毛布」をそこにかくしたらしいのでした。
 子供なんて放っておけば育つんだ……、そう考えていた自分の愚かさを恥じました。
 どこへ行こうかと迷う水の流れに、そっと石を置いて導くような、そんな父のやり方に頭が下がるおもいでした。
「きっかけを作ってあげるんだ、あとは子供が自分でやるよ、たくましいもんだよ」
 40年間、小学校の平教員で通した一徹の父が、未熟なわたしに伝えたかったのかも知れません。
 しんみりとしてしまったわたしと妻の背後で、娘は明るく笑って叫んでいました。
「やっぱり三角毛布を隠したのはおじいちゃんだったでしょう、わたし前からわかってたよ〜!」
 今のところ、水はいい方へ流れているようです。

                                              「子育てエッセイ」から