サバイバル
刑事さんは
「高校を出てからでもゴッホに
なれると思うよ」と言った
 少年は「ゴッホの生涯」にすっかりかぶれてしまっていたので「俺が日本のゴッホになってやる!」と決心したのだった。耳こそ削がなかったけれど、丸坊主でパイプをくわえた自画像を描いてみたりした。
 親は「画家になるなんて金持ちになるより難しいのよ」と訳のわからない反対をしたし、高校の担任は「国立大学に進んで証券会社に就職すること」だけを一流と呼んだので、結局少年はあっさりと「家出」を決意した。ただ、糞真面目な彼はこう考えたのだ。
「画家になれるかどうか、自分の根性を試すために東京まで歩いて行くぞ」
 8月17日午前3時、そっと家を出た。鹿児島から東京まで1500km、国道10号線をひたすら北に歩き始めた。
 夜明けの「磯公園」では孔雀の声を聞いた。太陽が上がれば地獄の始まりで、Tシャツに擦れた火ぶくれが1日目にして破れた。
 夏だというのに「敷根高原」の夜は歯を鳴らさせ、寒くて眠れないからまた歩いた。逃げる旅はサバイバルそのものだ。
 けれど嬉しいこともたくさんあったのだ。水は寺や神社に必ずあることを学んだし、光をいっぱい浴びて育った美味いトマトや胡瓜やスイカが食べきれないほど畑(?)にあった。1日だけならハイキングみたいなものだ。
 4日目、宮崎駅前にボロ雑巾のような少年が立っていた。そしてその日の夜、彼は自転車窃盗未遂で捕まってしまったのだった。
 泊められた牢に鍵はかかっていなかったけれど、カーキ色の毛布の温もりから少年はもう逃げようとは思わなかった。テレビドラマ通り「カツ丼」をおごってくれた刑事は「高校を出てからでもゴッホにはなれると思うよ……」と宮崎弁で言った。
 30年経った今、ぼくは絵を描いていない。ゴッホになる夢は生き残れなかったのだ。
 娘が「油絵セットを買ってよ」と言う。ぼくは「父さんも……描こうかなあ」と答えた。