12月31日(金)  大晦日

 12月31日、大晦日だ。仕事のために昨夜は勤め先に泊まった。
 「初日の出」より意味がありそうな気がして(根拠はない)、会社の20Fの窓から2004年の「最後の日の出」を見る。
 曇っているので雰囲気的には「夜明けを見る」といったところだ。今日は夜7時ぐらいまでにはいったん家に帰れるので(元旦も出勤なのだ)、途中からでも「プライド」と「ダイナマイト」を両方見て、ノゲイラとヒョードルの動きと技、山本キッドとマサトのパンチ力比較などをとことん妻に解説してやるぞ、紅白なんて絶対見せてやんねえぞ! くっくっ! などと考えていると、まあなんとか陽気な気分が戻ってきて「今年もまあ、いい年だったのかも知れないなあ」と少しだけ潤いが心に戻ってきた。
 天気予報では夕方から雪になるらしかった。
 「そんな様子はどこにも無いなあ……」と考えながら遥か遠くの雲を見る。
 
 松原みきさんが亡くなったことを、くやしいかな年末恒例の「今年亡くなった著名人」というようなテレビ番組を見て、昨夜初めて知った。43歳、10月の始めだったそうだ。
 松原さんに最初にお会いしたのはFM愛知の番組にゲストで出てもらった折りだった。彼女がまだ21〜22歳の頃だったはずだ。大きな前歯がとても可愛くて、キュートでそして「華」があった。
 わたしは即座に彼女にメロメロになり(死語?)、番組の最初から最後まで赤い顔をしていた。わたしの知っているニューミュージック系の女性歌手には無い「華」だった。音楽的才能は別にして、ユーミンも中島みゆきetcも、みかけは近所のお姉さんだからね(失敬)。とにかく惚れてしまったのだった。

 松原みきさんと話をしている時の、わたしの尋常でない照れ様を、その後もマネージャーなどがヤイノヤイノと冷やかすものだから「そうか、俺の理想の女性像はああいうタイプだったのか、やっと判ったぞい……」と自らも半ば強引に思い込むようになって、後年妻も近いタイプ?から選んでしまったような気がする。
 ビクターで歌を教え始めてからも「真夜中のドア」を課題曲に使い、彼女の声の出し方やリズムのノリを分析・研究したことなどもあり、わたしの中で「松原みき」はず〜っとまぶしい「華」だったのだ。
 今思うと、あくまで私見だけれど、本当に生意気で申し訳ないけど、音楽的にも彼女のファンキーさはミーシャよりも魅力的であったような気がする。


 午後1時、予報通り大雪になった。
 わたしは白く舞う雪を見ながら「真夜中のドア」を口ずさんだ。イントロのコーラス部分もすべて歌った。人が死ぬのは辛い。自分より若いひとが死ぬのはさらに辛い。
 ひとしきり降った雪は「忘れないでね」と言いながら、夜には雨になった。