「 仲ちゃんの店 」

  おかげ様でシンガー・ソング・ライターをしている間に全国1都1道2府48県すべてを少ない県でも2回ぐらいずつ回らせてもらった。
  そんなことを言うと「全国のうまいものなんか、もうぜ〜んぶ食べたんでしょうねえ、うらやましいわ〜」などと言われる。なぜ女ことばかというと、義母がいつもそう言っては必用以上に気を遣ってくれていたのを、ちょっと思い出しただけである。
  実際、いろんなものは確かに食べた。しかしまだ25、26歳の若造が深淵なグルメの世界にひたれる訳が無い。質より量だ。飲んで食えれば何でもいいのだ。気取って「この奥ゆかしい、表に出てくるかこないかギリギリの脂の乗りがいかにも松坂育ちの牛というか……」なんてことは言いたくても言えないのだ。酒の味だって同じ。目がつぶれてしまうような、よっぽどひどい酒ならいざ知らず、たいていはそんなに区別などわからない。かりに区別できたとしてもそれほど気になどならない性格なのだ。
  拓郎のツアーで、バケツ(氷がいっぱい入ってたやつ)にレミー・マルタンをがぼがぼ入れてみんなで回しのみした時など、実にまずかった。「舌も人間もダメになる」と思ったもんなあ。
 
 で、なにが旨かったかと言うと「仲ちゃんの店」である。店が旨かった訳じゃない、こういうのはちゃんと断っとかないとね、必ずいるんだ重箱の隅をつつく奴ってね。
  広島のRCA局のディレクターさんに連れて行ってもらった「仲ちゃんの店」は繁華街の中をどこにでも移動できる“屋台の鉄板焼き屋”だ。だいたいいつもソープランドのまん前に陣取っていて、ジュウジュウと怪しくも旨そうな匂いをあたりに撒きちらしていた。やっているのはもちろん仲ちゃんで、いかにも広島らしく元ヤーサン風なのだけど、その辺の詳しいことはよくは知らない。
「 お任せで」と言うと鉄板の下から魔法のように色々な食材を取り出し、適当に焼いて出してくれる。肉だって、何の肉だとか言わないから何の肉だかわからない。いちいち聞かないというのもまた暗黙の約束になっていて、客は勝手に客同士の会話に没頭し黙々と食べるのだ。また、そういう状態が一番仲ちゃんの機嫌がよくて、次々と旨いものを出してくる。かなり理想的なお店だった。
 そんな仲ちゃんの店で、わたしがどうしてもその正体を知りたいと思い、ついタブーを破って「これ何ですか?」と聞いたものがあった。仲ちゃんはブフフッブフフッと不気味に笑いながら「馬のたてがみだあ」と言った。
  聞いたことはあったが食べたのはそれが初めてだった。やや黄色味をおびたほとんど脂身だから、個々の意見は大いに分かれるところではあろうが、半冷凍に近いそれを薄くスライスしてショウガ醤油で刺し身で食した時、わたしは生きていてよかった〜と思いましたね。
「熊本が本場じゃけんど、これは今朝わしがつぶしたやつじゃけんのお」
 ……? 旨いはずである。今朝、仲ちゃんが手を血に染めて殺した馬らしい。二度と食えそうにないありがたいものだとわかると、ますます旨く感じてわたしはヨダレを垂らしながら舌づつみを打った。

「食の世界」の追求には限りがない。どのように美味い物でも必ず飽きる日がやってくる。結局、そうなると食ったことのないもの、ゲテモノ、普通は食わないもの、食うと危ないもの、命がけの食事の世界へ行ってみたいと思うのだけど、そう思うわたしは変なのだろうか? いえいえ、きっとあなたの中にもあるのです。今はただその願望が隠れているだけなのだ〜、なんちゃって。