「 長渕君 」


 鹿児島県という、東京からえらく離れたところで生まれ育った割には、わたしのまわりには芸能人が、というか芸能界の香りがけっこうしていたのだ。
 まず、谷山中学校の先輩に西郷隆盛じゃなかった(ベタベタなボケでんがな!)、西郷輝彦さんがいた。知らない人もいるかもしれないので蛇足ながら説明するが、辺見エミリのおとうさんだ。(そんだけかい!)
 そしてわたしの出身校ではないけれど、その前の段階の谷山小学校には3年生まで吉田拓郎がいた。
 劇団四季出身の俳優、榎木孝明は浪人時代同じアパートに住んでいたし、わたしが吉田拓郎と、太田裕美の曲の打ちあわせを表参道のクラブでしていた折り、榎木がボーイとして酒を運んできたりした。すべて偶然のなせる業であった。
 武蔵野美大の中庭でいつも授業をさぼってキャッチボールばかりしている一団がいて、わたしもその中の一人ではあったのだけど、その一団の中に作家の村上隆や俳優の六平(ムサカ)直政などがいた。
 極めつけは小泉純一郎だ。超々遠い親戚らしいが親族一同「恥だ」と言っている。あ! 彼は芸能人じゃないか。でも国会劇場という大舞台の立派な役者だろ! わたしは好きだけどなあ。
 と、まあよくわからないが、このようなあんばいだ。

 ユイ音楽工房にわたしが入ってから1年後ぐらいに長渕剛が入ってきた。ユイの社長、カリスマ後藤がやっている「ペニーレイン」という飲み屋で酒を飲んでいると「今度所属することになった長渕剛です」とマネージャーに引き連れられて我々のテーブルにあいさつに来たのだ。
 まったくの新人というわけではなくヤマハからの移籍らしかった。わたしの最初の印象は「カリスマ後藤と同じ犬系の顔をした男」というものだった。あ! 犬顔というのは誉め言葉だよ。“疑うことなく何かを狙う目”を持っていた。上を目指す顔つきをしていた。わたしにもっとも欠けた部分である。
 わたしはいつも通り人見知りをし、彼はそんなわたしにギョロリとした目で愛想笑いをした。あえて話すことも無いのでわたしが黙っていると、彼は彼なりに少しは気を遣ってくれたのだろう、無難な出身地話などを始めた。
 長渕君はわたしの方に向き直り、こう言った。
「小林さんは谷山(鹿児島県)の出身でしたよね、俺は谷山南高校だったんだけど、毎朝小林さんの家の前を通って通学してましたよ。ここがあのフォーライフレコードからデビューした小林っていう人の家かあ、と思いながらね」
 確かに路面電車の終着“谷山電停”から南高校までの通学路の途中に我家はあった。永田川の土手の上を毎朝大勢の高校生が歩いていたのも確かだ。しかし……わたしは、ちょっと不思議な気がした。あれ? そんなに歳が離れていたっけ? と思ったのだ。テーブルの下で指折り勘定したが、ちょっとそれは計算が合わないような気がした。
「おべんちゃらにしたって、よく言うよこいつ……」わたしは少し心を固くした。

 しかし一方で、わたしは愛想笑いを返しながら冷静に長渕剛を観察していた。悪い癖なのだがわたしにはそういう所が往々にしてあるようだ。いつだったか、恋人に「あなたって冷めた人ね」と言われたことがある。キスをしながら相手の首筋の皮膚の色味の変化を観察してしまった。辛い性格だ。
 同じシンガーソングライターとして、ほんとうはライバル意識を持たなくてはいけないところだろうし、なんとなくわたしに刺激を与えるために、カリスマ後藤がわたしに彼を引き合わせたような気配も見受けられたけれど、わたしの方は勝手に独自の世界に入り込み、ますます分析好き、屁理屈ディレクター的、評論家思考になっていった。
 個人的な好き嫌いで言うなら、わたしは長渕君を好きになれそうではなかった。怒るな長渕ファン、まあ聞け。
 好きになれそうにない、もしくは嫌いなタイプの相手でも「認める」ということはあるのだ。そういった類の認知は同時にジェラシー(嫉妬)を引き起こしたりする。ひがみっぽい嫉妬ではない、才能がぶつかり合う時の火花みたいなものだ。
 わたしの分析ではジェラシーを感じるパターンは2通りしかない。
@相手が、自分と同じ種類の才能を持っているが、自分よりずっと優れている場合
A相手が、自分の持っていない種類の才能を持っている場合
 その2通りである。
 長渕君はわたしが持っていないもの、わたしに足りないもの、それらを全てを持っている、と初めて会ったその日に感じた。そしてそれこそがスターになるための必須条件でもある、ような気がした。
 スターになるための条件を書きだすと止まらなくなりそうで恐いが……
@犬の顔を持っていること(猟犬だよ、チワワじゃだめ!)
A売れるということに本人が絶対価値を見い出していること(悩まない)
Bわかりやすいこと、特に人格(少なくとも表面上は)
C馬鹿じゃダメだけど、馬鹿なところがあること。その部分が愛される。
 (くだらないコレクションに大金を注ぎ込んでいるとか、女にだらしない、等でもいいのだ。)
D演技ができること
……ええい、やめだやめだ! そんなこと考えたってなんになるってんだ! つまりわたしは長渕みたいなやつが大、大、大嫌いなんだけど、音楽的な部分も見るべきところは何ひとつ無いのだけど、スター性って奴が彼の体中からみなぎっていたわけだよ、わかったか!
 
 ペニーレインで初めて話した時に直感した通り、彼はスターになった。歴史に名を残すスーパースターになった。最近テレビで彼を見る機会があったが、相変わらず犬の顔をして、何かを狙っているようだった。次は1000万人ぐらい集めてコンサートを開かないと満足できないだろう。
 ぼんやり見ながら思いだしたことがある。
「巡恋歌」が少し売れ始めた頃、ラジオか何かの仕事がらみで長渕君のアパートに行った記憶があるのだ。今となっては詳細をまったく思い出せないが、たしか彼の部屋から生オンエアで歌ったような記憶がかすかにある。どなたか覚えておられないだろうか。
「こんな奴といっしょに仕事すんのは嫌だ」と、もしわたしが断れるぐらいの積極性を仕事に対して持っていたら、また状況は変わっていたかもしれない、などと妄想するこの頃ではある。
 長渕ファンに殺されるかもしれないけど、いや、長渕に限ったことではないのだけど、スーパースターってどこか哀し気な雰囲気が漂っていると感じるのはわたしだけだろうか。

 そんな話を妻にすると、彼女は波田陽区を真似て言った。
「哀れなのは、あ・ん・たですから〜!」
 妻よ、あんたわかってないなあ、未熟者だなあ、まだまだだなあ、わたしはちっとも哀れじゃないよ、毎日が楽しくて楽しくて。
「中年おやじの、お・め・で・た斬りっ!」妻は最近、乗りに乗っている。