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うどんを食ったら閃いた

リトル・ドラゴンとはおいらのことだぜ!

2015年12月21日(月)「 急に思い出したこと 」

 ほとんどの日本人が幼少時に飼ったことがある動物……といえば間違いなく「ヤモリ」だろう。
 な訳あるかい! と怒らず、まあ聞きたまえよチミ。

「タモリやイモリ(美幸)はよく見たり聞いたりするけどヤモリってのは全然お目にかかったことないわねえ。ベトナムなんかのお安いホテルとかでは天井に張り付いてキキッキキッって鳴いてるって話を聞くけど、私いつも高級ホテルだしー……」
 などといった気取った奥様にひとこと。
「あなたのステキなお宅にも〜、ヤモリは必ずいるので〜す、アーメン」

 そうなのだ、どこから湧いて出るのか移動してくるのか知らないが、極寒の土地でもないかぎりヤモリは必ずあなたのそばにいる。
 現に娘が小学校に入学する折り、なるべく近い所から通わせようと学校横の新築のマンションに越した。外壁がツルツルピカピカのタイル張りで、それまで暮らしていた木造モルタルざらざらアパートと比べるとどこか冷たい感じがするほど清潔感に溢れた建物だった。
 しかしだ、その年の夏には小さいながらも(3cm)すでにヤモリ君たちはそのマンションに居着いていて、わたしたち家族を見守りかつ癒してくれたのだった。

 娘はわたしの血を引いたのか何でも飼ってみたい性格らしく、すぐに小瓶にヤモリを入れて得意気に見せにきた。
 子ガラスの時も台湾ドジョウの時もプラナリヤの時も同じ目でわたしを見上げたが、その瞳がわたしと同じ色をしていたので、むしろ嬉しかったような記憶がある。
 しかしだ、困った問題がひとつあった。冬場の餌の確保である。夏場なら原っぱの表面を捕虫網でサッとひと撫ですれば蚊や羽虫の類いが簡単に採れる。しかしながら、さすがに冬場はそうはいかない。だからこそ自然界では、彼らは冬眠という技を身につけた訳なのだ。

 ペットショップには爬虫類用の餌として大中小のコオロギを売っているのをご存じだろうか? 世の中にはカメレオンやトカゲの類を飼っている人が結構多いのである。需要だって安定しているというから在庫が途切れることはない。
 しかしだ、チビタン(我が家のヤモリちゃん)がいくら大きくなったとは言ってもまだ4cm、小サイズのコオロギにさえも追い回されてかじられそうなのである。奴らもときどき肉食になる。
 そこでわたしは知恵を絞った。そしてついに活路を見いだしたのである。釣り餌の「サシ」である。

 サシというのは、日本人の食卓にはよく乗る「蝿の幼虫」である。「ウジ虫」とも言う。待て待て吐かずに聞きたまえよ、チミタチ!!
 釣具屋でサシを1パック購入し、空の水槽にぶちまけておくと、やがてサナギになって脱皮の後には成虫の蠅になるのだ。部屋が温かいのでチビタンは冬眠はしない。キチンと1日3匹の蝿を食べ、大いに青春を満喫しているようだった。そして1年で5cmに成長した。餌用の蝿が水槽から一挙に逃げ出して、部屋中に200匹ぐらいの蝿が飛び回った時は「殺虫剤で殺したら餌として使えんだろうが……」と家族全員で口で吸い込んで捕まえたりした。今となっては素晴らしい思い出である。

 2年目の夏、娘が特大のデカタン(12cmヤモリ)を捕まえてきた。チビタンのお友達にするつもりらしい。わたしも大いに賛同し、同じ水槽に入れて飼ってやることにした。もしかすると偶然にも雄雌で卵を産んだりするかもしれないし、もしかすると求愛の鳴き声が聞けたりするかもしれない。わたしたちは家族全員で心を踊らせた。
 固唾を飲んでデカタンをチビタンの水槽にいれた。お互いに自分以外の別生命体がいることは分かっているようであった。素敵な出会いの気配が密かに進行しつつあった。娘は「チューなんかしたりしてネ、ウフフ」などと言っている。
 しかしだ、次の瞬間わたしたちの背筋は凍りついた。
 
 なんとデカタンがチビタンを飲み込んでしまったのである。娘は泣き叫び、妻は電話に手を伸ばした。わたしは「警察に電話してどうする!?」と怒鳴りながら、水槽の蓋を開けてデカタンを掴んだ。デカタンの口の端に丁度チビタンの脇がつっかえて、腕がひしゃげかけているのである。尻尾の方から飲み込んだので「縦繋がりの双頭のヤモリ」である。あ! そんなこと言ってる場合じゃないのだ。
 わたしはデカタンの口を広げ、チビタンの上半身(?)をそっとつまんでやさしく優しく引き抜いた。ズルリとした感触でチビタンはなんとか抜けた。が、脇の部分の皮が剥けて血が滲み、筋肉の筋も何本か切れてしまっているようだった。
 わたしは腹立たしさのあまりデカタンを窓の外の生垣に放り投げ、震えながらチビタンの傷に綿棒でオロナインをなすり付けたりした。オロナインは意外にも効いたようで、結局チビタンは一命をとり止め、傷もなんとか癒えて2度目の冬を迎えることになった。わたしはまた蝿を育てて食料を確保し、その年は水槽にヒヨコ電球を入れて暖も確保してやった。


 しかしなあ……。人間というのは飽きる動物なのである。興味が薄れた訳ではなかったのだが、蝿を20匹程入れて数日間放置することがだんだん多くなってしまっていた。
 暖を確保したとはいってもやっぱり冬場は活発に活動しないので、観るという楽しみがあまり無くなってしまったのである。自然環境を模して作ったジオラマの中、乾いた流木の陰に隠れてじっとしているばかりである。
 娘は更に薄情で、その頃はもうほとんど水槽の中を覗くことすら無くなってしまっていた。生き餌の蝿が必ず一匹ずつ減っていたので、夜間に捕食する習慣が定着してしまったのだろうと考えていた。

 
 ある日、久しぶりに水槽の中を覗いてわたしは小躍りした。ヒヨコ電球の表面にチビタンが乗り、遊んでいるのだ。
 わたしはチビタンがわたしたち家族への恩返しのつもりで芸を覚え、ついにテレビ出演することを承諾したのだと勝手に想像した。猛特訓のせいで少し痩せてしまったのだなあと健気さに涙しつつ、その芸を待った。
 しかし、チビタンは少しも動かなかった。電球の表面を滑り降りて、ギリギリの所でジャンプをする筈だったのだが、チビタンは少しも動かなかった。ピクリとも動かなかった。
 わたしは眼鏡を外し目を凝らした。そしてその直後、嗚咽とともに涙があふれ出してきたのだ。チビタンは……ヒヨコ電球の表面に、焦げて張り付いていただけだったのである。
 イモリの黒焼きという漢方薬は聞いたことがあったが、ヤモリのそれは余りに哀れであった。
 
 わたしは電球からチビタンをべリッと剥ぎ取った。煎じて飲んであげるのも供養のひとつかと思ったが蝿の味をつい思い出し、やめておくことにした。そして亡骸を小さな桐の箱に入れてスーパーカブに跨がった。浦和の見沼用水路の桜並木に向かったのだ。そこは“わたしの秘密の場所”だった。桜の蕾は大きく膨らみ、あと2週ほどで咲き出しそうな気配を見せていた。わたしは桜の木の根元に穴を掘り、チビタンを木箱ごと葬った。

 それから間もなくして春がやって来た。桜の花が満開のある日、わたしは妻と娘を連れてチビタンの眠る場所のすぐ横でタープを張ってバーベキューを楽しんだ。
 わたしは飲みかけのビールをほんの少しチビタンの墓にかけ、放ったらかしにしたことを謝罪し 成仏を祈った。
 実は、妻にも娘にもそこにチビタンが眠ることは教えてなかったのだ。特に娘には「焦げて死んだ」とは口が裂けても言えず、水槽の上蓋の隙間から逃げたことにしてあった。
 春の風と色がわたしの背中を押したようだった。わたしはチビタンの死の全様を娘に話し謝罪した。 小さな生き物ではあるけれど精一杯生きたチビタンの生き様をわたしは語り、同時に命の尊さを話した。
 チビタンの墓の前で家族3人で手を合わせ、その魂の安らかなることを祈った。暖かくて柔らかい気持ちがこみ上げてきた。
 その時ふいに娘が口を開いた。
「パパ、チビタンの箱の奥の方に、なんだかボーッと光って見える塊があるよ!」
わたしは「しまった」と思った。
3年前、飽きたというだけの理由で25歳の女を殺し、同じようにそこに埋めたことを急に思い出したのだった。