Yahoo!JapanGeocities Top
御神木のタタリは絶対有りますぜ

4月の末ごろ

切りすぎでしょ

愛が無い

右のは無くなった

死んではいないが
2015年10月25日(日)「 靴を失くす夢 」

 しょっちゅう見る訳ではないが、“靴を失くす夢”はわたしの定番夢(?)になっている。
 わたしは雨の中をとぼとぼと歩いていて、誰かが間違えて履いて行ってしまったのだろうかとか、きっとあいつが故意に隠したんだろうかとか、靴屋があればとりあえず¥3000ぐらいのやつを買うんだがとか、つぶやいているのだ。
 靴下が濡れてものすごく気持ちが悪い感覚もはっきりとあって、このままではじきに靴下に穴があき、そこから小石や釘が足の裏の肉に刺さり、ついには流血がはじまるのだろう……と悲観し、わたしはどんどんどんどん落ち込んでゆくのだ。
 きっちりネクタイをしめたスーツ姿なのでギャップが大きい。どこまで行っても靴屋は見つからず、すれ違う人々は暗闇の中を行くグレーの靴下を指差して笑い、若い女たちは「イヤだイヤだ」と卑下の眼差しを隠さない。
 そしてわたしはただ「靴が無い、靴が無い、靴が無いんだよー」と泣きながら何処までも歩き続けて行くのである。

 若い頃から見続けているので、その夢が“喪失感”というものと関係しているのを今では自分で分っている。
 女に振られた時も、職を失った時も、肉親を亡くした時も、地位を失った時も見た。要は自分の力ではどうにもあがなえないといった自分の無力さを感じたときに必ず見る夢のようなのだ。

 殆どの欲望を笑ってしまえる年齢になってきたが、それなりに悲しいことは今でも無いことはない。
 職場にある巨大な楠木(くすのき)が無残な姿にされてしまった。今年の4月に、このフィールドノートでも紹介した素晴らしい木だ。当時精神的に大いに救われた記憶がある。
 大きくなりすぎて、確かに近隣の屋根に覆いかぶさってしまってはいたけれど、伐採の仕方に愛が無さ過ぎるのである。職人たちは「切り倒した方がこっちとしちゃあ楽なんだけどよう」などとほざいた。前にも言ったが、わたしは「木フェチ」だ。
 木の悲鳴が聞こえるのでショックと同時に胸が張り裂けた。
 

 “靴を失くす夢”を見るとかなり疲れるので、今回は見ないようにと枕元に靴を置き、意識的に何度か匂いを嗅いでから寝てみたのだがやっぱり無駄な抵抗であったようだ。さらに今回は靴下までも失くしてしまうストーリーだった。
 おそらく次回は足も失くしてしまう…のだろう。最終的には、わたしはオバケの倫太郎になってゆくのだろうか? 今はよく分らない。