「 Kの本質 」

 NHKの元プロデューサーが首謀となって架空の仕事をでっちあげ、多額の金をNHKから騙し盗る、というような事件が最近起こった。テレビのニュースでも度々取り上げていたので、詳しく内容をご存じの方も多いだろう。それに関与してKという芸能プロダクション社長が逮捕されたが、実はKはわたしの最初のマネージャーだった男である。(「Sonyより進んでいたんだぜ、おれたちは」でニックネームで登場した)
 
 わたしなどが、こんなくだらないホームページに軽はずみに取り上げてはならない話題のような気もするし、「お前が一体なにを知ってるんだ、何もわかってないくせに出しゃばって余計な発言なんかすんじゃねえ!」と実害を被った方々に言われればそれまでだが、読みたくない人は読まなければいいだけのことだし、真実を何一つ知ってはいないが100%個人的な心情として、少しだけKをかばいたい。
 
 ニュースを聞いた時、わたしはかなり悲しい気分になった。あの気のやさしい、たよりない、母性本能をくすぐるような、いわゆる「小者だがいいやつ」が、そんなだいそれたことをするに至った経緯を想像したからだ。アナクロな人情劇のようで申しわけないが、青春の一時期を共に過ごした、という意識はどうしても「ひいきめ」に作用する。アーチストとマネージャーという違いはあったけれど互いに新人同士、年齢もほぼ同じだった。数えてみるともう20年以上も会っていないような気がするが、Kのことは今でも色々と思い出すことができるのだ。
 
 ツアー中に楽屋弁当で食中毒を起こし、アーチストのわたしが彼をおぶって病院に連れて行ったこともあった。弁当の中の青黒くなった海老がその原因のようだったが、彼の海老よりさらにとろけた海老を食べたわたしの方はどうということもなく、病院から戻った彼に「おまえはデリケートさのかけらも無い、バリケードなやつだ」などと言われたことを想い出したりした。
 わたしがアメリカから彼のためになけなしの金をはたいて買ってきた皮ジャンを、形が気に入らないからといって他人にあげてしまうような冷たいところもあったけれど、そういうところも嫌いではなかったのでクールでかっこよくさえ見えたりした。マネージャーになる前は「虫プロ(手塚治さんの)」にいたこともあったはずだ。

 会社が経営不振だったんだろうか、それできっと主犯の元プロデューサーにそそのかされたんだろう、それともそういう裏の世界にどっぷり浸かり切って金銭的に麻痺してしまったんだろうか、といいようにいいように妄想した。しかし、いくら妄想してみても事実が反転する訳ではないので、わたしはますますふさぎこんでしまった。馬鹿だ、アホだ、マヌケな奴だ、と悲しい気分になった。どこかで元気に頑張っているだろうと思っていたのに、と裏切られた気分だったのだ。

 かなり欝欝となってしまったわたしだったはずだが、1週間ほどすると少し考えが変化した。(いい性格だろ?)
 どうってことないことじゃないのか……と思うようになったのだ。
 とは言っても、彼を擁護するつもりではない。遵法主義者という訳でもなが、悪いことは悪い。しかしだ、いろいろなことが起こる人生だから、そのぐらいのことが起こっても別に不思議は無いこの世ではないか、というぐらいの意味である。
 人は月日と共に少しずつ変わってゆくのだ。環境の変化の中で目に見えないスピードで変わってゆくのだ。1万円が大金だった若者が、いつか多少の出世をして一晩に100万円使ってもまだ使い足りなくなり、ついぞ他人の金に手をつける、なんてことはいくらでもある話なのだ。人の金を騙し取るのは悪い。そそのかされたり、利用されただけだったとしても犯した罪は償わなければならない。
 そんな風に考え始めると、わたしはもう一度「Kの本質」を信じたくなった。人は、特に男は、25歳ぐらいまでに考え方や感性が固定される、と言われる。どれだけ悪ぶっても、背伸びしても、この世は金が全てだとなりきろうとしてみても、本質的に「いい人」はその後も「いい人のまま」だ。
「いい人で終わりたくない」と、つっぱっていると、その内どこかに歪みを生じて「病気」になったりする。
 今回のことは社会的には犯罪だが、彼個人にとっては一時の病気であって欲しいと思う。いつだったかKは、酒だったかドラッグだったか忘れたけれど、いっちゃった頭で「人生はむなしい」とか言い出して、20Fのホテルから飛びおりようとした。そんな小者の男が、自分の小者ぶりに気付きもせず夢をみたのにちがいないのだ。その内、塀の中で色々なことに気付くはずだ。そこからが本当の勝負だろう。
 
 話しは変わるが、よく「音楽を好きな人に悪い人はいない」などということを平気でいう馬鹿がいたりするが、あれは嘘だ。わたしの観たところ音楽好きでも、本質的に「いい人」と「悪い人」が大体半々である。

 話の逸れついでにもうひとつ。プロとして音楽をやってる人で「音楽が実は嫌い」という人が意外と多いのだ。