2014年6月某日「 6月の小ネタ 」

トウガラシ

どうだどうだ!

こうだこうだ

畑がほしい

期待の品種

やっと芽が出た

 カプサイシンの夏がやってきた。今年初めての青トウガラシをスーパーで見つけたので二夜連続でカツオの刺身と冷やっこにぶっかけて食った。これがまた旨いのなんの。
 で、今年は庭の菜園(ほんとに猫の額)に3種類のトウガラシを植えた。青トウガラシ、バルーンペッパー、島トウガラシだ。もっとも島トウガラシの苗などは普通には売っていないので、沖縄から種を取り寄せて蒔いた。5月20日過ぎに蒔いてやっと今月10日ぐらいに芽が出た。ほっとしている。入梅でもう種が腐っちまったと思っていたから嬉しさ100倍だ。
 これで、肛門の回りには今年も「カプサイシン製ヒリヒリの輪」ができることだろう。今年こそカメラにまたがって、赤い(?)輪の写真を撮りたいものだ。
 撮れたらお見せしま、せん。


ウメボシ

けっこう旨い

今年も漬ける

「栗とタケノコは買った事がない」と日頃豪語しているが、それに「梅」も加えなければならない。
 公園や並木に梅が多くて、花もすばらしく綺麗だが実もすごい。何がすごいかというと、誰も採らないから落ちたおびただしい数の実を人間が踏みつけたその光景がすごいのである。滑って転んだ老人などもころがっていたりする。
 八百屋やスーパーで青梅の2kgぐらいの袋入りをたまに見かけるけれど、土気ではまず売れない。落ちてるもん、売んなよ! って感じだ。
 去年は梅酒と酢梅(梅酢ではない)とウメボシを作ったのだが、そのウメボシが汁に浸かったままになっていて「減塩だから腐ってると思う、捨てるわよ」と妻が言うのだ。つまり、せっかく漬けたけどどうせタダで拾ったものだから惜しくもないし要らん、という訳だ。イラン人が聞いたらイライラして怒っちまうぜ、まったく。
 で、モッタイナイ星人のわたしがキッチンペーパーを敷いた板の上に丁寧に一個ずつ並べて干した訳だ。これがまた旨いのなんの南野陽子。
 梅雨が開けたら外で天日干しにしたいのだが、その前に食い尽くすと思う。
 干すための竹製の「大ザル」が売っているのを先日見かけたが、なんとなく欲しい。子供のころ干してある他人ん家のウメボシをよく盗んで食ったものだ。ウメボシのようなバーサンによく追いかけられた。

液体二酸化炭素計画

エアガン用のやつ

本格的ミドボン

水生植物水槽用

ビールの泡用

 梅雨だろうが何だろうが、カヌーは漕ぎたい。濡れるのも構わないし、雨の中ではしゃぐのも馬鹿だがカッコいい気がする。
 がだ、最近歳のせいかポンピングがしんどくなってきたのだ。空気注入のこと。
 グモテックスのヘリオスは底と両脇の3気室構造になっていて、底部分で85回、側面部分で70回、左右だからその倍、合計で225回以上ポンプを踏まなければならない。これが還暦男にはちとキツいのである。
 最近つとに、脳内に横着菌が増殖しつつある年頃だが、何かいい方法はないかと思案するに至った。
 結果、二酸化炭素なんかどうだろう? と考えている。二酸化炭素といえばガス銃用、アクアリウム用、生ビール用、パンク修理用などなど、結構我々の身の回りにボンベ入りで売っているのだ。加工すればどのタイプでも利用可能な気がする。
 回りでヒイヒイ言いながらポンピングしている若者たちをよそに、颯爽と現れたジジイが3分で膨らませて漕ぎ出してゆく……というのを目指すのである。
 で、最終的には商品化して、裏山の一つぐらいは買いたいものである。で御殿を建てて、その御殿は「ガス御殿」と呼ばれる訳だが……ちょっと臭そうだ。


浜寿司

まあ、ふつう。

注文品が回り続ける

干からびてゆく

けっこう食っている

 土気の町には回転寿司が無かったのであるが、ついに5月の末に「浜寿司」というのができた。駅前である。
 これまでにも、できては消え、できては潰れ…を繰り返していたので、需要があるようで無いようで「もうまったくこの町はわかりません」と業界も手を出さないなどという話を聞いていたので、回転寿司ファンとしてはビックリ嬉しいのだが、さてさていつまでもつのやら、といった野次馬根性も少し有って、客足も落ち着いた先日、ついに行って食したわけである。大袈裟だ。
 長々と書きたくないし賄賂ももらっていないのでズバリと斬るが、平日一皿90円のサービスを以てしてもここには2度とは行かないような予感がある。こういうのは誹謗中傷というのだろうか、報道というのであろうか?
 ネタに対するこだわりが無い、工夫が無い、努力が足りないのである。わたしはやっぱり今まで通り、1時間かけてもやはり茂原市の「スシロー」に行くだろうなあ。
 味噌汁を2つ頼んだのだが、なかなか出てこない。問い合わせると忘れていたという。あわてて持ってきたが何を勘違いしたのか3つほど離れたテーブルに届けているのを目撃した。もう1度問い合わせると「あ!」と小さく叫んで走り出し、さっき運んだテーブルに戻って、既に手を付けたかも知れない味噌汁を回収してきて、我々の前に「はいどうぞ」というのである。
 わたしはこのぐらいのことではおこらない。この時も怒らずえげつない亀の目で観察した。いやなジジイ。
 開店間もなく、あたふたしているのは想像できるし同情もするが、やっぱりちょっと変だ。言っちゃあ悪いが言っちゃうが、店の雰囲気にキビキビしたところが無い。活気もやる気もしまりも無い。ぼろくそに言ってるなあ。
 回っているやつをつまむより、注文した方がネタが新鮮なのでみなそうしているのだが、注文品がコンベアに乗ったままいつまでもぐるぐる何回も回り続けていて注文者にいっこうに取られていない、というのはどういうことなのだ。いったい此はどういうことを意味しているのか?
 で、家族で議論した結論はこうだ。
「頼んではみたものの、あまりにもネタが貧相なので食う気が失せて、見送ってそのままになってしまっている」

 有線放送で偶然にも中島みゆきがかかっていた。
「♪回る回るよジャーキーが回る〜」
 確かに乾いた刺身はジャーキーに似ている。サーモンジャーキーの軍艦巻きとか、一夜干し生スルメ烏賊の細巻きなんてのが、特に人気がないようだった。


竹の子(布袋竹)

 わたしは旨い旨いとペロリと平らげた。妻は苦い苦いと箸を付けない。
「あなた、若い頃に苦い思いをし過ぎて、苦味に鈍感になっているんじゃないの?」
 妻は結構するどいことを時々言うのだが、そうかもしれないなあと思った。そういえば若いという字と苦いという字は似ているのだ。そんな歌の文句が昔あったね、何だっけ?



                  






mk
人生、小ネタの繰り返し 
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