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1954年 鹿児島県指宿郡喜入町(旧)生まれ。小学2年時、NHK独唱コンクールでだだ一人鐘3つ。ラジオに流れる。瀬々串小学校、中名小学校、谷山中学校、鶴丸高校の校歌を歌った。が「女みたいな声」と言われたのと、転校先ですぐ歌わされのが嫌になり、以降「思春期が終わるまで俺は歌わんど」と決心した。
高校1年の夏「俺は画家になるど」と突然言い、東京を目指して歩いて家出。宮崎駅前で自転車泥棒未遂で補導される。カツ丼を食べさせてもらって留置1晩。
美術大学受験のため18歳で上京、2浪して武蔵野美術大学油絵科に入学。「日本のゴッホ」になる筈だったが、後に日本では東京芸術大学出身でないとダメだ、と分って挫折。



1977年 大学2年時に初めて作った3曲が「第1回フォーライフレコード新人オーディション」(応募者約2500人)で優勝。アマチュア経験無しでシンガー・ソングライターとしてあっさりメジャー・プロデビュー、音楽活動に入る。(所属はユイ音楽工房)
さらに南こうせつさんには「1977年のベストアルバムだ」と世辞を言われ、井上陽水さんにも褒められて天に昇る。業界内では「彗星現る」と評判(?)になるが、今思えば彗星って一条の光を残して消えてしまう「流れ星」だよなあ。
南こうせつ、吉田拓郎、風、オフコース、イルカ、庄野真代他の全国ツアーに同行参加。オールナイトニッポン、FM愛知、FM福岡、栃木放送などでDJ。
同時に杏里、太田裕美、水谷豊、山本コータロー等、他アーチストへ詞、曲の提供を開始。映画、TVドラマ劇版、CM等の音楽担当をつとめる。裏方の楽しさと適正に目覚める。
来生たかお、佐野元春、林哲司と4人で作家事務所を設立することになって、パンフレットまでできていたのに、この「口」が災いして実現せず。



1985年 現役歌手休業。ビクター音楽カレッジにて後進の指導(歌、作詞、作曲)を開始。一時、天職だと思った。
裏方の作曲(CM、社歌など)はそのまま続行。丸大ハムのCM、葛I文の社歌、芙蓉グループイメージソング、東ハト製菓などなど。
35歳、大腸癌を患い大腸の半分を捨てる。腸が短くなり、一度死んだという覚悟もできて、身も心も鳥のように軽くなる。それを機(?)にアウトドアに目覚める。フライフィッシィングの“深み”にのめり込む。釣りに目覚めたビジネスマンはもう終わりだ。
45歳、2輪にも目覚める。147Km/リットルの燃費はすごい。スーパーカブはバイクの王様である。わたしは速く走ることに興味は無い。ここでないどこか遠くへ行くことの楽しみに目覚める。目覚めてばっかりの男だ。それまで眠っていたのだろうか。
ビクター音楽カレッジのディレクター、運営スタッフに飽きる。18年目の浮気、作文に目覚める。



2002年 ある日、スーパーカブで荒野を疾走中、土中にギラリと光る1本のシャチハタネームペンを発見。そのハンコが偶然にも「小林」だったことを、あろうことか「神の啓示」と勘違いしてしまったのが運の尽き。「ペンを執れ!」という幻聴まで聞こえて、あっさりビクター安定生活を辞して「作文生活」に入る。妻子は夜な夜なススリ泣いた。


2003年 毎日、風の中でストレス無く肉体労働し、公募ガイドなる本を枕によく眠る。
小学館のアウトドア誌「ビーパル」への投稿が実を結び、同誌にて一応ライターデビュー。が、その後作文仕事などまったく無く、トホホの日々が続く。作詞で「短く書く癖」がついてしまっているのか、きっちりプロットを作ってあっても途中で「巻き」を入れてしまうのだ。
腹を据えて長いものを書く根性が無いことに目覚める。この場合「気づく」が正しいか。あとの祭りだ。


2008年 2月、千葉県の土気(とけ)に居をかまえた。千葉のチベットといわれる所だ。チバリーヒルズという億万長者だけが住んでいる一画がある。全屋敷にプールがあり、住民はプールサイドでバター茶などを飲んでいる。な訳はない。
太平洋はバイクで(車でもいいけど)30分、山は背中に背負ってるようなもんだ。2010年には犬(ビーグルのソラ)も飼い始めた。翌年には同じビーグルのキラも来た。
「いかに書くかより何を書くかが重要なのだ」を口実に、ネタ探し及び仕事と称して遊んでばかりいる。



2013年 スカポン探検隊を結成。もちろん隊長はわたしだ。犬はいるから、あとは猿と雉を現在募集中。マジで、この地には雉が多い。あ、桃太郎探検隊じゃないのだった。
カヌーの2号艇、3号艇を手に入れた。ゴムカヌーだがバイクで何処へでも運べる。単独行はストイックさと気楽さが同居しているのがいい。な〜んてね、ま、格好つけてもただの遊びだ。


2014年 還暦を迎えた。「もう終わりだ!」と思ったが意外や何も変わらない。ここで言うことでもないし、あまり意味もないがロリコンになってしまった。孫が欲しいだけかもしれない。
同時に定年退職を迎えたが「遊ぶ金欲しさ」に仕事を続けることにした。せこいカヌーだが、今一番カヌーが楽しい。ホームにしているのは横芝光町の栗山川。鮭が遡上する最南端の川、と一応なっているが見たこと無し。死した屍、拾うこと無し。


2015年 ♪楽しいことなら何でもやりたい 笑える場所なら何処にでもゆく〜♪ ご存知、井上陽水の「青空ひとりきり」の心境。音楽ももう一度やりたい。山の上でたった一人で歌うための歌を作りたい。
「スカポン探偵団」結成。「豚味噌の会」会長に就任。まあ、その他いろいろとテキトーだ。人生いろいろ! 島倉千代子だ。そうだよ、人生は島倉千代子だ。


2016年 カヌーの単独行に出かけたい。先ずは利根川だ。まだ62歳じゃないか、男はいつまでも“力勝負”を忘れてはならないのである。そして利根川の藻くずとなりかけて「遭難して初めて泳げるようになった人」としてニュースに出て、お茶の間を大いに笑わせたい。もしかすると「徹子の部屋」にも出られるかもしれない。
老人は周りの人を笑わせてなんぼ、である……ような気がする。
DAWの使い方がやっとちょっとだけ解ってきたので、少しずつ曲を作ってアマチュアデビューしたいものだ。

2017年 1月に燃費のいい軽自動車を手に入れたので、大型のファルト(全長4.8mのカヌー)を運べるようになった。亀山湖を中心に漕いでみた。仕事を辞めない限りまとまった時間は作れないことは分っているが、仕事を続けているからこそ元気でいられるという考えもあり、まあ行ける所まで行ければいいのだ。
フライフィッシングを再開した。近くに管理釣り場を見つけたからだ。昔取った杵柄はまだ全然健在だった。

2018年 もっともっと真剣にカヌーで遊ぼうと思って海に出た。2度ほど恐い思いをしたが勝浦湾を中心にして春〜夏にはよく漕いだ。カヌーとかアウトドア好きの40歳までの女性のお友達を募集中。ただし25歳以下はボツです。音楽制作も再開したが頭が古くて現代について行けない。DAWの使い方が自己流になりつつある。もうマイペースでやっていくしかないと悟った。

2019年 作文を「デスマス調に変えようか…」と思っています
ヤフーのジオシティズ(このサーバー)が3月いっぱいでクローズになるらしいので、いい機会なので謙虚なお爺さん風に変身しようという訳です(笑)。とはいえ、別のレンタルサーバーを見つけるのも面倒なので、いっそのこと止めてしまおうかとも思ったのですが、結構備忘録として役に立っているところも有るので、まあもう少し頑張ってみたいと思っています。知らず知らずに15年目に突入です。

2020年 
66歳になった。孫がまだ居ないので、お爺さん気分になれないでいる。早く縁側で梅干を干したり、干し柿をつるしたり、「ばあさんや!」とか言ってみたいのだが、許されない。今欲しいのはサンドバッグ。コロナに打ち勝つには、腕っぷしである。

2021年 車をホンダのライフからダイハツのハイゼットカーゴに乗り換えたので、軽キャンパー造りに没頭している。まあ軽バンにそんなに入れ込んでも仕方が無いから、車中泊仕様にするだけだが、さまざまな所へ出掛けて行きたい。ここからは若いころにできなかったことを全て実現していきたいものだ。

2022年 5歳年下の妻が終活を始めやがったので、わたしにも盛んに勧めるので、ちょっと考えてからするかしないか決めようと思う。まだまだ欲しいものがいっぱい有って、ゴミ屋敷になりそうな今日この頃。
友人の犬のソラが9月に逝ってしまった。泣きすぎて飛蚊症になる。悲しみを乗り越えるためにフィッシングカヤックを買ったがまだ1度も乗っていない。捨てることになるかも知れない。

2023年 仕事を辞めてのんびり暮らしていきたいと思う反面、そうなるときっと支えをなくして自閉症になってしまうのではないかとかなり不安である。要するに、おそらく「人」が好な犬型人間なのだと思う。そして先のことはまるで分からない。分からないのじゃなくて単にボケてきたのかも知れない。チクショー、ボケを楽しんでやるわい。

2024年 1月末に70歳になる。「後記老齢者」だ〜とおもっていたら、70歳から74歳は「前期老齢者」と呼ぶらしい。思わず「セーフ!」と叫んだが、何がセーフなのか分からない。


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